87歳になった今でも尚、ファッション界の第一線で活躍し、“エレガンス”を伝え続けるジョルジオ・アルマーニ(Giorgio Armani)。現在、創設デザイナーが活躍するクチュールブランドが少なくなる中でも、アルマーニは変わらずモードの歴史を開拓し続け、大きな影響を与えている稀有な存在だ。その活躍ぶりから“モードの帝王”という異名をとった。
今回は、そんなジョルジオ・アルマーニのブランドスタートから現代まで“ターニングポイント”をピックアップしながら約46年の歴史を追う。また、“そもそもアルマーニのデザインの特徴とは何なのか?”、“アルマーニがなぜここまで世界的に認知されたのか?”、“ジョルジオ アルマーニとエンポリオ アルマーニ(EMPORIO ARMANI)の違いは何なのか?”といった疑問も併せて紐解いていこう。
「ジョルジオ アルマーニ」が誕生した時代、1970年代のミラノは経済的困難を迎えていた。「ファッションデザイナーなどという柔な存在は時代錯誤」だともいわれるほどで、ファッションを楽しめるのはブルジョワ階級の人々のみ。また、ブルジョワたちの中でも愛されていたのはフランスのブランドばかりで、まだイタリアのモードやスタイルは確立されていなかった。
ジョルジオ・アルマーニ自身はというと、医学部に進学したものの兵役期間を経て以後は、ビジネスの世界へ。ミラノの百貨店でウィンドウドレッサー・バイヤーを務め、1960年代にファッションデザイナーに転身。1970年代には、フリーのデザイナーとして活動していた。
そんな中、セルジオ・ガレオッティがアルマーニに独立の話を持ち掛ける。
不安をぬぐい切れずアルマーニは悩んだが、ガレオッティのポジティブな強い後押しがあり独立を決意した。ガレオッティがマネジメントを担当し、アルマーニがクリエーター&アーティストという立ち位置で、1975年、「ジョルジオ アルマーニ株式会社」を立ち上げた。その頃アルマーニは41歳で、デザイナーとしては遅咲きだった。
後に、アルマーニは「彼の後押しがなければ会社を設立する勇気などなかった」と語っており、それほどにガレオッティの存在は大きかったようだ。
「ジョルジオ アルマーニ」がファッションの歴史に名を刻んだ“第一歩”というべきは、デビューシーズンの1976年春夏コレクションではなく、彼らのセカンドシーズンにあたる1976年秋冬コレクション。
メンズには、女性的なラインを取り入れることで上品な柔らかさを与え、逆にレディースにはメンズファッションの厳格さをもたらした。特にメンズでは、厳格に定められていたスーツの構造に自分らしさを取り入れられない“不満”に着想を得て、従来の堅苦しいジャケットの構造を解体して再解釈した。
こうしてアルマーニが提案したスタイルは“自由”であり、着る人が“自分らしくいられる”。そして着る人が自分らしくいられることによって、エレガントな服はより一層“エレガント”になるというもの。
この頃、人々からの喝采を浴びたこのスタイルは、現在に至るまでずっと変わっていない。