1970年代から1980年代にかけてミラノとニューヨークのファッションが成長。ミラノではジョルジオ・アルマーニ、ジャンフランコフェレ、ヴェルサーチなどが活躍し、有用性と装飾性を兼ね備えたファッションで確固たる地を確立。ニューヨークではラルフ・ローレン、カルバン・クライン、ダナ・キャランなどがスタイルを打ち出したファッションで活躍する。
パリのような革新的なスタイルとは異なり、イタリアは伝統的に素材や職人技術などに裏付けされる品質で強みを持ち、バッグ、靴などの分野で活躍するエリアだった。グッチ、プラダなどさまざまなブランドが20世紀の前半からその地位を確立していた。
イタリアのブランドは、素材の良さを強みに、機能的、実用的、それにセクシーな要素を掛け合わせたスタイルを提案して成長。イタリア北部の都市ミラノを中心に、ファッションでの存在感を高めていた。
歴史的にはイタリアのコレクションはフィレンツェで開催されていた。1951年、アメリカとファッション関連の貿易に従事していた、バティスタジョルジーニが、アメリカにイタリアの品質の高さをアピールするため、ファッションショー始めたと言われている。
その後、1960年代後半から70年代にかけて、アルビーニ、ヴァレンティノなどが加わり、その活躍もあり、徐々にコレクションとしての地位を確立。途中、立地的な条件を理由にフィレンツェからミラノにシフト。そして70年代後半、ミラノコレクションは、ニット連盟のサポートを得て組織化されて運営されるようになった。その後、80年代、ヴェルサーチ、アルマーニ、ジャンフランコ・フェレといったデザイナーが活躍し、ミラノはパリに並ぶほどの地位を確立していく。
イタリアファッションの成長には、アメリカという市場も大きく影響した。品質が高く、伝統的な要素、実用性、セクシーな要素持つイタリアファッションはアメリカの市場ににうまくマッチしたからだ。もちろん、イタリアのブランドたちがアメリカの市場に適していることを前提に戦略を作っていたことも要因だ。
その一例がハリウッド。イタリアのブランドの中で、ハリウッドと密接な関係を築いたことで最も成功したのがアルマーニだ。
ジョルジオ・アルマーニは1980年代からハリウッド映画に積極的に衣装の提供を始めた。リチャードギアのアメリカンジゴロなどが有名だ。その他、レッドカーペット(映画の完成披露会や賞の授賞式)などにも積極的に衣装提供を行い、知名度を世界的なものにしていく。
全世界に視聴者を抱える映画の祭典、アカデミー賞ではジョージクルーニー、リチャード・ギア、ロバートデニーロ、ジュリアロバーツなど多くの俳優、女優がアルマーニのスーツやドレスを着用した。こうして、アルマーニとセレブリティ、高級感といったイメージが確立していく。アルマーニのほか、ヴェルサーチなどのイタリアのブランドも同様にハリウッドスターに多くの衣装提供を行っている。