映画『ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密』の公開にあたって、前作に続き"ファンタビ”キャストにインタビューを実施。
主人公の魔法動物学者・ニュートを演じたエディ・レッドメイン、ダンブルドア役のジュード・ロウ、物語の黒幕を担うマッツ・ミケルセンをはじめ、マグルと魔女の恋仲を演じるダン・フォグラーとアリソン・スドル、"ファンタビ・ファミリー”に初参加するジェシカ・ウィリアムズ、そして監督を務めたデイビット・イェーツに話を伺うことができた。
シリーズを追うごとに白熱する魔法ワールドの魅力、そして物語に内在する人間ドラマを、人気キャスト・監督はどのように考えているのか?一足お先に作品の見どころも明かしているので、是非シアターに行く前にインタビュー記事をチェックしてみてほしい。
■まずは主演のエディさんに質問です。映画『ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密』では、魔法動物学者としてこれまで以上に活躍するニュートの新たな一面も描かれていましたね。前作のインタビューでは“はみ出し者”の主人公・ニュートの魅力についてお伺いしましたが、本作ではニュートのさらなる魅力を引き出すことができたと感じますか?
エディ:もちろんです。大自然の中で魔法動物を追跡するニュートは、まさに水を得た魚。その姿をお見せしたくて、実は前々から僕が監督にお願いしていたことなんですよ。何故なら、普段はひよわで人見知りなニュートが、いざ自分のフィールドワークに出ると人が変わったように本領を発揮する、“そのギャップ”もニュートの魅力だと強く感じていましたから。
そして彼は魔法動物と一緒にいるときが、“最も自分らしく”ふるまうことができるのも、ニュートらしくて良いですよね。映画では沢山の魔法動物も登場しますから、今まで以上に魅力的なニュートの姿を皆さんも楽しむことができると思います。
■前作に続き、ニュートとダンブルドアの固い絆も見逃せません。今回もダンブルドアの“無茶ぶり”にニュートが応えるかたちで物語が大きく動きだしますが、ふたりの信頼関係は一体どこからきていると感じますか?
エディ:ダンブルドアとニュートは、もともと<恩師と教え子>という間柄ですが、僕は“へその緒”で繋がれたような、切っても切れない密接な関係性だと感じているんですよね。深い深い愛で結ばれているというか。そして、ニュートはそれを知っているからこそ、どんなに危険な任務を任せられたとしても、ダンブルドアを信頼して行動することができる。
今回なんて黒幕・グリンデルバルト(※)に対抗するための、“デコボコチーム”のリーダーをダンブルドアから任されることになりますが、ニュートはその無茶ぶりな役割に憤るどころか、誇りすら感じている。物静かで優しい魔法使い(ニュート)を、あえてリーダーに任命するのも、なんだかダンブルドアらしいなとも思います。
ジュード:ダンブルドアは、恐らく相手の可能性や潜在能力を引き出すことに、非常に長けた人物なのではないかな。だから今回ダンブルドアが命じたチーム結成では、チームメンバーそれぞれのポテンシャルや良識を引き上げるパーフェクトな役割を与えることで、グリンデルバルドという脅威に立ち向かえるだけの勇気を奮い立たせたのだと思うのです。
エディ:確かに、チーム内ではそれぞれの役割がバッチリとはまっているよね。それぞれに合った任務だから、義務感からではなく、自分の意志で行動もできている。今回はニュートがリーダーであることに対して、チーム全体も彼に信頼を寄せているところも僕のお気に入りなんですよ!
※グリンデルバルド…人の心を魅了し、未来が見える史上最悪の魔法使い。『ファンタスティック・ビースト』シリーズの黒幕。
■映画『ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密』では、おふたりの家族にまつわる関係性もより深堀りされていました。それぞれの家族間にある複雑な内面を描くうえで、どのようなアプローチをされたのでしょう?
ジュード:僕が俳優として、まずアプローチする必要があったのは、ひとつの表情・演技だけで、どれ程キャラクターが持つ複雑な心境を観客に伝えられるか、ということ。そのためにも、ダンブルドアというキャラクターをあらゆる角度から分析し、理解することは不可欠な作業でした。
僕は彼の心のうちを探索することをすごく気に入っていて、沢山の人の人生をとてもよく反映している人物だと捉えています。この作品の核として語られますが、ダンブルドアと他者の関わりにも様々な愛があり、そして同時に多くの後悔もある。とくに誰にとっても感情のトリガーとなる家族との関係性は、ダンブルドアも例外ではなく、そのうちに秘めた“弱さ”をきちんと画面に映し出すことは、非常に大切な要素だったといえるでしょう。
エディ:僕の場合は、ニュートとその兄・テセウスの関係性をより描いていくことになりますが、実はあまり苦労はしなかったんです。何故なら“のけ者”のニュートと、超エリートで皆から一目置かれているテセウスという兄弟の構図は、僕の子供時代と図らずもマッチしていたんですよね(笑)。
僕は3人兄弟なんですけど、自分以外はスポーツ万能で、学校のヒーロー。一方僕は全然そんなことなかったから、“できる兄弟を持つ”ニュートの心理は、僕自身の実体験から痛いほど理解していましたし、この複雑な関係から何を引き出せばいいのかも、よ~く分かっていたことなんです(笑)。
それからテセウス役を演じたカラム・ターナーとは、プライベートでも複数の共通点があったので、彼と血の繋がった兄弟役を演じるうえでも助けになったと感じています。
■具体的にいいますと?
エディ:僕たちは当時知る由もなかったのですが、子供時代にずっと同じ近所に住んでいたことを知りました。それもお互い徒歩3分くらいの場所。すごく不思議なご縁ですよね。
それから彼と知り合う前の面白いエピソードもあるんですけど、ある時僕が妻とドラマ「戦争と平和」(2016)を鑑賞していた時に、TVの画面に演者のカラムが現れたんですよ。そうしたらカラムを初めて見た妻が「あら!この人って、あなたを少し若くして、ちょっとホットにした感じ。よく似ているわ!」なんて言い始めたから、僕は複雑な気持ちになりながら「それは、どうもありがとう。」って返すしかなかったんです。
その後、僕のニュート役が晴れて決まってから、監督のデイビットが「今日は俳優を呼んできているんだ。君の兄役をオーディションしているところでね。」と突然言い出して。そこに現れたのが、なんとカラムだったというわけ。だから僕はすかさず「ああ、カラムのことは知っているよ。僕を少し若くして、ちょっとホットした感じの俳優さんだよね!」って、答えたんです(笑)。
ジュード:それは最高に面白いね!(笑)
■グリンデルバルド役を演じたマッツさんは、映画『ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密』から“ファンタビ”チームに加わりました。世界的ヒット映画の黒幕を演じるうえで、どのような心境で臨まれたのでしょうか?
マッツ:過去にたくさんの悪役を演じてきたこともあって、自分の子供に誇れるような役柄はなかなか回ってこないものだと思いこんでいたのですが(笑)、この作品はそんな僕にとっての例外のひとつ。悪役側であろうとなかろうと、この“ファンタビ”という魔法ワールドに出演できることを、本当に誇らしく感じました。「ハリー・ポッター」の物語と共に成長し、何度も魔法世界を夢見た子供たちが、目を輝かせて僕の出演に喜んでくれる。そんな素晴らしい体験が、僕にも起こったのですから。
■これまで演じてきた悪役の経験は、グリンデルバルドという人物を演じるうえでも活かされましたか?
マッツ:そうですね。他の悪役に関してもそうですが、いわゆる“悪者”を演じる時、まずはその悪者がどんなゴールを目指し、遂行しようとしているのかを始めに明らかにする。それが自分の中で欠かせない作業です。
グリンデルバルドは、──これまでのいくつかの悪役とも共通していたのですが、“彼なりの物差し”で、世界を少しでも良い場所にしたいと考えているキャラクターでした。目的を果たせば世の中が良くなる、と頑なに信じているのだから、あながち不純ともいえないですよね。もちろん周りの魔法使いの多くには、理解されないのだけれど。だからきっとグリンデルバルド自身は、自分のことを“ゴッホ”のように感じていたんじゃないかなって思うんです(笑)。何故ならゴッホは生きている間には理解されなかった孤独の天才でしたからね。
■映画の中では、そんなグリンデルバルドとダンブルドアにまつわる“過去”も、物語の重要な主軸となっています。この二人の深い関係性は、『ハリー・ポッター』シリーズでも描かれなかった事柄なので、演技にも一段と熱が入りそうですね…
マッツ:はい。ふたりはかつて盟友だったけれど、結局その友情は壊れてしまった。僕はダンブルドアとの過去を振り返るというより、グリンデルバルドが現在感じている“未練”のようなものを、演技の中に落とし込むことを意識していました。もちろん黒幕である彼の“未練”は歪んでいるのだけれど、そのリアルな感情の機微を描くことも、このキャラクターの魅力を引き出すことができると思ったんです。
ジュード:ふたりはきっと、心のどこかで寂しさを共有しているよね。そして僕は今回ふたりの過去を描くうえで、僕自身の実年齢が、キャラクターに関する深い洞察を生んでくれたという事実も大きな発見でした。
というのもダンブルドアとグリンデルバルドの間で、“過去30年ほど前”に何が起きたのかを理解するためには、僕自身がある程度の年齢に達していなければ、それすら叶わなかったということです。僕が20代・30代・40代と辿ってきた人生と重ね合わせることができて初めて、本当の意味でキャラクターの内面を解釈することができるというか。映画では、ふたりが遂に杖を交えるシーンも登場するんですけど、あの場面はキャラクターの過去の心情を深いレベルで理解したからこそ、新たな領域に踏み出す演技ができたのだと感じています。