第2章では、デンマークの家具デザイナーのなかでも独特の作品を手がけたフィン・ユールの仕事を紹介。ユールの家具、たとえば「彫刻のような椅子」と評される椅子は、当時の前衛彫刻家ヘンリー・ムーアやジャン・アルプによる造形の影響をうかがえる、有機的・曲線的なフォルムが特徴である。それは、いわゆるモダニズムのシンプルで機能的な造形とは異なるものだ。
ユールによる家具は、日常で用いられるうえでの機能性よりも、美術作品のような審美性から発想されているといえる。本展の学術協力者である織田憲嗣は、ユールの独創的なデザインは機能性よりもむしろ「形」から入るものであり、家具デザインの王道であったクリント派などから批判も受けた、と話す。では、ユールが美術作品のような造形性を持つ家具を手がけた理由とは何だったのだろうか。
1912年に生まれたフィン・ユールが家具デザイナーとなるまでの道筋は、同時代の主流派とは異なっていた。当時、家具デザイナーの多くは家具の専門学科や家具工房の出身であったものの、10代の頃から美術に関心を抱いていたユールは、美術家になることを夢見ながらもアカデミーで建築を学び、建物の設計やインテリアデザインに携わるなかで家具を手がけるようになった。いわば、ユールの椅子作品の造形性の基底には、美術への関心があった。では、造形物としての審美性と道具としての機能性は、ユールの作品においていかにして共存しえたのだろう。
本展のもうひとりの学術協力者である多田羅景太(京都工芸繊維大学助教)によると、その鍵は家具職人のニールス・ヴォッダーであったという。当時野心的な家具職人であったヴォッターは、他の工房が好んで手がけようとは思わないデザインを思い描くユールと波長が合ったようである。ユールの独創的なイメージを、ヴォッターの職人技がいわば具現化したのだ。ユールはヴォッターとタッグを組み、1937年に家具デザイナーとしてデビューしている。
ユール初期の椅子の特徴は、複雑な形状をした部材を卓越した職人技によって接合した《グラスホッパー チェア》をはじめ、《ペリカンチェア》や代表的なソファ《ポエトソファ》など、有機的な曲面から構成された大胆なシートの造形が特徴である。
一方で1940年代中期から50年代中期において、ユールの椅子デザインの眼目は、シート部からフレーム部へと移行している。ユールの代表作であるばかりでなく、デンマークを代表する椅子でもある《イージーチェア No. 45》はその好例。フレームは流麗でシャープな3次元的な曲面を描く一方、シート部との間に微妙なスリットを設けることで、あたかもシートが浮いているかのような軽快な緊張感をもたらしている。
1940年代にデンマークのモダン家具が庶民にも開かれていったように、40年代後半、ユールも職人による家具製作と並行して、機械生産に適したデザインを模索していった。その最初の製作を担ったのがボヴィルケ社だ。当初は、ヴォッダーが製作した家具の複雑な接合部を簡略化し、機械生産向けにアレンジされていたものの、48年にはボヴィルケ社のための初の椅子がデザインされた。会場では、53年に製作された《ダイニングチェア》や《イージーチェアBO-77》などの作例を目にすることができる。
ユールは、デンマークのデザイナーのなかでも最初期にアメリカ進出を果たしている。1951年には家具メーカーのベイカー・ファニチャー社と契約、《ベイカーソファ》などのオリジナル家具に加えて、ヴォッダーやボヴィルケ社のためにデザインした椅子が機械生産され、広く販売された。また、ニューヨークに新たに建設された国際連合本部のインテリアデザインを手がけるなど、国際的にも高い評価を得るようになる。
しかし、このように量産家具メーカーにデザインを提供する機会が増加していった1950年代半ば以降、ユール初期の椅子を特徴付ける繊細で有機的な造形は影を潜め、機械製造に向いた直線的なフレームが目立つようになる。たとえば《イージーチェア No. 45》のフレームに見られる3次元的な曲面は、60年代の《アームチェア No. 901》において直線的な2次元曲面へと変化している。ユールは自身の美意識と、時代が求めるデザインの葛藤に苦しむことになる。60年代にユールは作品出品をストップし、1989年にこの世を去った。
そして、1940〜60年代に隆盛したデンマークの家具デザインは、70年代には衰退の道をたどることになる。それは、デザイン潮流の変化ばかりでなく、伝統的な家具作りからの脱却に業界全体として取り組めなかったからでもあった。ユールの活動も、この流れと並行したものであったといえる。その一方で1990年代以降には、ユールに改めて光が当てられ、2000年代以降にはいわゆる「北欧デザイン」に注目が集まっている。最後に「椅子の魅力」を経由することで、デンマークの、そしてユールの椅子が今に語りかけるものを探ってみたい。
数ある家具のなかで「椅子」が独自に有する特質や魅力について、本展の学術協力者である織田憲嗣、多田羅景太のふたりに話を伺った。まず織田は、椅子の魅力を特徴付けるものは物理的・精神的の2つに大別されると話す。