タエ アシダ(TAE ASHIDA)のデザイナー、ジュン アシダ(jun ashida)のクリエイティブ・ディレクターとして活躍する芦田多恵にインタビュー。
日本を代表するファッションデザイナー・芦田淳の次女として生まれ、1991年にミス アシダのコレクションでデザイナーとしてデビューした芦田多恵は、2008年、パリで初のコレクション発表。2012年には自身の名を冠するブランド・タエ アシダを設立し、2021年にデビュー30年を迎えた。2019年秋冬には初のメンズウェアを手がけるなど新しい挑戦を続ける芦田に、服作りの根底にあるもの、そして30年の活動の軌跡について話を伺った。
──まずは服作りについてお話を伺いたいです。芦田さんが衣服をデザインする際、何が根底にありますか。
衣服はやはり人が着るものですので、袖を通したときに、どれだけ着心地が良くて、美しく見えるか、ということが常に根底にあります。
テーマに基づいてコレクションを制作する人もいると思いますが、私は違います。どちらかというと、自分を探るプロセスになるんですね。今シーズン、自分は何を作っていきたいのかということを探りながら作るので、テーマは後付けで、制作の後半になって結局これがやりたかったのだとわかってきます。
──具体的には、制作の起点は何でしょう。
いちばん最初は生地選びです。7〜8割くらいイタリア製の素材を使っていて、ざっくりとしたイメージを描きながら生地を選びます。そして数ヶ月後、デザインをする時期になると、生地のムードや特性を見ながら衣服のラインを描いていきます。
──「衣服はやはり人が着るもの」とのことでしたが、衣服と着る人の関係をどのようにお考えでしょうか。
まずは着る人がいるので、洋服の存在というものは、人にとっては二次的なものです。ですから、私は自分の洋服によってその人の個性がなくなるような、洋服の個性になってしまうようなものは作りたくないです。どちらかというと、洋服を着ていただいたときに、その人の個性、その人の素敵なところが引き出されるようなものを作りたいと思っています。
言ってみれば、洋服はちょっと足りないくらいがいい、そこに着る方自身のエッセンスがプラスされて完成される、と考えています。
それは究極の場合、イブニングドレスのように「ヌードではないがヌーディーである」ことを追求することになります。つまり、その人の美しい体をいかにより効果的に見せるかということです。それがヌードになってしまえば、単に透けた洋服を作ればいいのですけれども、すると洋服としての体をなさなくなりますよね。ですから、いかにその人の体を感じさせて、洋服としての体をなすかということは、技術的にもひとつのチャレンジなのだと思います。
──衣服をデザインする際、芦田さんはそこでどのようなシルエットを思い描いているのでしょうか。
それはまさに、時代によって変わります。ある時代はボディコンシャスが流行ったり、いろいろ変わっていきます。それはつまり、時代の価値観なのだと思います。たとえば女性の生き方であったり、ボディをどの程度リアルに見せるかであったり、今ですとジェンダーレスであったり。
──時代の背景とともに、考え方も自然に変化していくのですね。
トレンドは誰が作るのかとよく質問されます。先シーズンから今シーズン、そして次のシーズンへ、という流れのなかで継続していくトレンドと、そこで終わってしまうトレンドがありますが、そういう選択肢は時代の価値観から決まっていくのだと思います。
──最近では、ジェンダーレスなファッションが盛んに言われています。
ジェンダーレスなファッションも、最初は言葉にはなっておらず、それを言葉ではなく衣服で表現していくという作業がまず行われます。それが言葉で語られて、そして今、ジェンダーレスというものがひとつ大きな流れになっているわけですよね。
これが来シーズンに終わるのかというとそうではなくて、多分これはこの時代の流れのなかで大きな意味を持つ要素にどんどんなっていくと思います。だから、結局はどう自分が世の中の流れをキャッチしていくかということが、ものづくりのなかで重要なのではないかと思います。
──さて、それでは芦田さんのこれまでの活動についてお伺いしたいと思います。まず、なぜデザイナーを志したのでしょうか。
実は、ファッションデザイナーになりたい、なると決心したことがありません。生まれてみたら、両親がファッションデザイナーだという家で、本当に小さいときから、この子が後を継ぐ、ファッションデザイナーになると、自他ともに思って育ってきました。そして、自分もそういうことが好きだったので、デザイナーの道に進んだのです。