映画『シャイロックの子供たち』が、2023年2月17日(金)に公開される。原作となる小説を手がけた作家・池井戸潤にインタビュー。
『半沢直樹』『陸王』『アキラとあきら』など、数々の人気小説を生み出してきたベストセラー作家・池井戸潤。そんな彼の小説『シャイロックの子供たち』が、完全オリジナルストーリーで実写映画化される。
同作品は、銀行で起きた現金紛失事件を主軸に、行員たちの人間模様を描いた群像劇。池井戸自身が「ぼくの小説の書き方を決定づけた記念碑的な一冊」と明言する、傑作ミステリーだ。
実写映画の公開に先立ち、原作者の池井戸潤にインタビューを実施。小説『シャイロックの子供たち』は、いかにして“記念碑的な一冊”となったのか。本作が池井戸のキャリアにとって特別である理由や、映画化に対する想い、物語づくりのこだわりまで、幅広く話を伺った。
小説『シャイロックの子供たち』は、池井戸さんの小説の書き方を決定づけた“記念碑的な一冊”だそうですね。そもそも、本作はどのように生まれたのですか?
登場人物の動かし方を根本的に変えてみようと思ったのが、この小説のはじまりです。
『シャイロックの子供たち』以前の初期作品では、作ったプロット通りに登場人物を動かせばいいと思っていました。作家は天地創造主で、登場人物はその世界観に基づいたストーリーの“駒”という認識だったんです。
ですがある時から、登場人物を思うままに動かせるなんていうのは、作者の思い上がりだなと感じるようになりました。どんな人にだって個別の事情や悩みがあって、色々な想いを抱えながら生きています。登場人物も同様です。だからもっと登場人物の人生に敬意を払わなきゃだめなんじゃないかって。
そこで、登場人物の人生を最大限リスペクトして書いてみようと思った。それで出来たのがこの『シャイロックの子供たち』という小説です。なんというか、僕にとっては練習曲、エチュードだったんですね。
それまでの作品とは小説の成り立ちが全く異なる、と。
プロット優先から、キャラクター優先へ。『シャイロックの子供たち』は大きなターニングポイントになりました。
『シャイロックの子供たち』では、具体的にどんなことを意識して人物描写を行ったのでしょう。
作者が作為的にキャラクターを動かさないこと。自然で、リアルな人物を描くことを意識しました。物語の展開のために登場人物の言動を変えると、往々にしてキャラクターは破綻しがちです。人は忠実に、自然に動かせばそういう矛盾は起きません。
これ以降の作品でも、“登場人物の人生にスポットライトを当てる”という手法は引き継がれているのでしょうか?
以降すべての作品に繋がっています。テーマが違っていると別の物に見えるかもしれませんが、実は全部同じ作りをしている。
今でもたまに『シャイロック』を読み返して、“あ、こういう風に書いてたな”と確認することがあるんです。この小説は原点であり、帰ってくる場所です。
これまでにも様々な作品がドラマ化・映画化されていますが、池井戸さんの“原点”である小説『シャイロックの子供たち』が映画化されると決まった時、どのような感想を抱きましたか?
正直、映画化は無理だろうと思いました(笑)。
というのも、この小説は連作短編なので、一本のストーリーとして紡ぐのが難しい。
『半沢直樹』にしても『下町ロケット』にしても、小説のストーリーに沿って脚本を作ればうまく着地するんですが、『シャイロック』はそれができないわけです。どこまで掘り下げてオリジナリティのある一本のストーリーにするか、というところがすごく難しい。だから、随分長いこと映像化もお断りしていたんです。でも今作は、プロデューサーができると断言した。「ならばやってみてください」となって、オファーを受けることにしたんです(笑)。
それでは、実際にご覧になった感想は?
映画はオリジナル・ストーリーとして再構築されているので、原作とは全く異なる別モノです。決して否定しているわけではなく、結局のところ、映像化するクリエイーターの数だけ異なるストーリーができる小説なんでしょう。小説を読み込んでいる方も、新しい物語として楽しめると思います。
映画だけのオリジナル・キャラクターも良い味を出していたと思うのですが、原作者である池井戸さんはどう感じられましたか?
すごくいいですね。思い切った脚色ですが、成功していると思います。映像化するときに、「原作と変えていいですよ」と言っているんですが、なかなかそうはなりません。変えてしまってうまく着地できるか、恐いですからね。そういう意味では、映画版『シャイロックの子供たち』は大胆に挑戦した印象を持ちました。
『シャイロックの子供たち』を含め、数々のヒット作を生み出している池井戸さん。ご自身が考える、<池井戸作品の魅力>とは何ですか?
“作りもの的な面白さ”じゃないですかね。リアルとは少し違うエンターテインメントとしての構成というか。
とくに今の世の中は内向きに、小さなことに行きがちでしょう。だからこそ、作りものならではのデタラメな面白さを楽しんでほしいです。
池井戸さんの作品は、いつも四面楚歌の状況からの鮮やかな復活を描きますよね。突破口のインスピレーションは、どこから湧いてくるのですか?
解決策は事前に考えていないので、毎回めちゃくちゃ悩んでいます。登場人物が絶体絶命の時は、作者にとってもピンチなんです。“この先どうなるんだろう…?”と、自分でも悩みます。
解決策が思いつかないときもありますか?
もちろんあります。ひとつの長編を書くのに、何度もどん詰まりの状況に直面します。解決策を考えつかないと物語が進みませんから、こっちも必死です。夜中の2時ごろふと目覚めて書き溜めたアイデアメモが何枚あることか。24時間体制です。ひとつの小説を仕上げるのに、考えて、悩んで、最後の着地まで何ヶ月もかかる。作家の仕事は、体力と気力の勝負です。
大変な苦労が伝わります…。
物語が途中で終わったら作品になりませんからね。でも逆に言うと、作者が困れば困るほど、読者にとっては面白いはず。そう自分を励ましながら書いています。
どうしてもアイデアが出ないとき、ピンチに陥る以前の展開に手を加えることはありますか?
基本的にはないです。突破口が見つからないときに、ストーリーの少し手前まで戻って絶体絶命の危機を招いてしまった人物の言動を変えるやり方は、なくはないですが……。でもそれをやると、登場人物のリアリティが失われると思うんです。この人なら絶対こうするでしょ、という確信のもと書いてきたのに、その土台を自分で崩すことになる。
つまり、解決策が見つからないからその人の過去の発言や行動を変えるというのは、『シャイロックの子供たち』から続けてきた自分の創作スタンスを裏切るのと同じなんですよ。そうしないためにも、とにかく地道に解決策を考えるしかないんです。
登場人物が危機的状況の時、池井戸さんご自身も一緒に悩んでいるからこそ、物語に絶妙なリアリティが生まれる気がします。
やっぱり予定調和的なものにはしたくないので、登場人物には自由に動いていてほしい。読者の中には、登場人物と自分の状況を重ね合わせて感情移入する人も多いと思うのですが、そういう人たちにいかに“共感”してもらえるかが勝負だと思っています。