20世紀を代表するファッションデザイナーのひとりであり、「モードの帝王」と呼ばれたイヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)。現代に続く女性服の基礎を築きあげたサンローランの活動を紹介する、没後日本初となる大回顧展「イヴ・サンローラン展 時を超えるスタイル」が、東京・六本木の国立新美術館にて、2023年9月20日(水)から12月11日(月)まで開催される。
1936年に生まれたサンローランは、戦後間もないパリ・モードを牽引したクリスチャン・ディオールの急死を受けて、1958年、そのメゾン「ディオール」のデザイナーとしてデビュー。そして1961年には自身のブランド「イヴ・サンローラン」を設立し、2002年に引退するまで活動を続けた。
40年以上にわたる活動のなかで、サンローランは、現代の女性服の基礎となる衣服を手がけてきた。たとえばそれは、男性のタキシードをもとにした女性用のスーツであり、トレンチコートやサファリ・ルックであり、身体を透かして見せるシースルー素材を用いた衣服である。また、ピート・モンドリアンの抽象画をモチーフとした「モンドリアン・ルック」などに見るように、しばしば芸術からも刺激を受けている。
「イヴ・サンローラン展 時を超えるスタイル」では、オートクチュールのルック110体に加えて、アクセサリー、ドローイング、写真など262点を一堂に集めて、サンローランの活動を紹介。デザイナーとして活動のスタートから、サンローランによるデザインの特色、その着想源や技法、そして芸術との関わりまで、デザイナーとしての全貌に光をあててゆく。
1936年アルジェリアに生まれたサンローランは、内気な性格であり、幼少期には家で絵を描くことを好んでいたという。やがて、ファッションに情熱を傾けるようになると、紙を使って小さな衣服をデザインするようになり、1953年と1954年の秋冬に向けて、11点のペーパードールと500点超の服、アクセサリーを制作している。
サンローランがファッションデザイナーへと新たな一歩を踏み出したのが、1954年のこと。パリで毎年開催される国際羊毛事務所のコンクールに参加したサンローランは、そのドレス部門において1位と3位を獲得。これを契機に、1955年の夏、クリスチャン・ディオールはサンローランをアシスタントとして迎え入れたのだった。ちなみに、1954年のコンクールにおいて、コート部門で受賞したのがカール・ラガーフェルドである。
戦後のパリ・モードを先導したディオールが1957年に亡くなると、サンローランは弱冠21歳でメゾン「ディオール」のアーティスティックディレクターに就任。1958年春夏コレクションで鮮やかにデビューを果たしたのだった。
「トラペーズ・ライン」として知られるこの時のコレクションは、流線的なライン、身体を覆う緩やかなウエスト、そして洗練されたカッティングに基づく軽快なシルエットを特徴としており、クリスチャン・ディオールが手がけていた曲線的なスタイル──たとえば、1947年春夏シーズンに発表した、花冠を彷彿とさせる「バー」スーツを思い浮かべればよい──を大きく変えるものであった。ゆったりとしたフォルムで仕立てられたデイタイム・アンサンブル「品行方正」は、その代表的な作例である。
クリスチャン ディオールで6つのコレクションを手がけて成功を収めたサンローランは、1961年、パートナーのピエール・ベルジェとともに、自身のブランド「イヴ・サンローラン」をスタート。ブランド初のショーは、大いに注目を集めている。たとえば、ストレートなカットで洗練された佇まいに仕上げられたスカート・スーツは、シャネル(CHANEL)以来最高と評されることになった。
自身の名を冠した初のコレクションでにおいてファーストルックを飾ったのが、ネイビーのピーコートにホワイトのパンツ、そして編み込みのレザーミュールを合わせたものであった。水兵の仕事着という、寒さから身を守る機能的な装いに着想を得ているものの、ピーコートにはゴールドカラーのボタンで華やぎを添えるとともに、パンツにはセンタークリースを入れるなど、船乗りの作業着を上品に昇華したこのルックは、のちにサンローランのスタイルを象徴するものとなっている。
サンローランの活動における重要な点のひとつが、衣服にひもづけられたジェンダーのイメージを超えてデザインを手がけ、現代へと続く女性のワードローブの礎を築いたことだ。たとえば、1960年代当時にいまだ男性のものと捉えられていたパンツスタイルを、積極的に女性服へと取り入れている。本展では、サンローランの代表的なルックとともに、こうしたデザインの特色を紹介している。