映画『ある閉ざされた雪の山荘で』で映画単独初主演となった重岡大毅にインタビューを実施。様々な役を演じてきた重岡の役作りに対する姿勢や、俳優業への熱い思い、さらには彼の人間性まで、関係者にも“太陽みたいな人”と言わしめる重岡の魅力をたっぷりとお届けする。
映画『ある閉ざされた雪の山荘で』は、数々のヒット作を世に送り出してきた国民的作家の東野圭吾が1992年に発表した長編小説を原作とする作品。トリックや人物描写の複雑さから、“映像化は不可能”と長年思われており、これまで一度も映像化されてこなかった。そんな『ある閉ざされた雪の山荘で』が、初めて映像化されることに。
“大雪で外部との接触が断たれた山荘”という架空の密室空間で実施されるオーディションの最中、出口のない密室で1人、また1人とメンバーたちが消えていく。演技だったはずの殺人事件が、本当に起きているのだろうか?「全員役者」で「全員容疑者」でもある登場人物たちが、疑心暗鬼になっていく姿に注目だ。
トリックや人物描写の複雑さから、“映像化は不可能”と長年思われてきた本作ですが、そんな複雑さが落とし込まれた脚本を読んだ際の感想をお聞かせください。
心して読みました。毎回気持ちを入れてしっかりと読み込むようにしていますが、今回はより気合が入ってました。なんてったって、東野圭吾さんが原作ですから。あまり大きな声では言えませんが、原作『ある閉ざされた雪の山荘で』は読んだことがなかったということもあり。
第一印象はいかがでしたか?
驚きでいっぱいでしたね。この初めて読んだ時に味わう「わーっ!わーっ!」っていう驚きは、やっぱり演技に活かす上でも大事にしたかったので、ファーストリアクションのこの驚きの感情は忘れないようにしようと心に決めていました。
ただ、めーーーっちゃ読んだんですけど、さすがに難しい(笑)。読むたびに、「ここはどういうことや、あ、そうか、なるほど。それでこれがこうなって、あそこに繋がって…あの人が犯人か。いやでもそう思ってたのに実はこの時こうで…」といったふうに、“映像化は不可能”と言われるのにも納得の複雑さでした。
演じる上で、その複雑さはどのように理解を深めていきましたか。
とにかくたくさん台本を読み込む。演じる時には、次のシーンのことを常に意識していました。今演じてる内容がその後にどう繋がるのか、出来事の繋がりをいつも以上に考えながら演じました。
重岡さんにとって、単独としては映画初主演となりましたが、本作の出演を決めた経緯を教えてください。
そっか。改めて言われるとそうでしたね(笑)。
経緯というか、僕、というか僕ら(WEST.)はみんなそうですが、独特なんですよ。急に呼び出されて、紙をすっと出されて「これやるよ」と『エヴァンゲリオン』の碇ゲンドウみたいに机に肘ついて両手を組みながら言われるんです(笑)。
で、その作品の内容についてとかを説明してもらうんですよ、もちろん碇ゲンドウ(※)が目からビーム出してるみたいに、眼を光らせながら。
※碇ゲンドウ:新世紀エヴァンゲリオンのキャラクターで、特務機関ネルフの最高司令官。使徒と戦うための指示を出す。
そんなおもしろいやりとりが繰り広げられているんですね(笑)。
ただ今回はいつもより気合が入ってましたね。なんてったって東野圭吾さん原作ですから、紙を出された時も勢いがありました。
僕自身、来た球はどんな球でも打ち返すというバッターのつもりで常に構えてるつもりですけど、今回ばかりは打つ前に帽子を取って一礼しました。「ありがとうございます!」みたいな。
東野さんへのリスペクトがすごく感じられますが、プレッシャーはありましたか?
もちろんありました。まあでも思い返しても、8歳くらいからずっと何かしらのプレッシャーを感じつつ生きてきたなと思います。今回は東野圭吾さん原作だとか、映画単独初主演だとか、同世代の役者も集まったので他の人と比べられるんじゃないかとか、いろいろな不安がありましたね。
不安要素もたくさんあったんですね。どのように向き合っていったのでしょうか。
全部1個ずつやっつけていきました。かっこいいことは言えないですけど、結局は自分の手の届く範囲のところから頑張っていくしかない。これはね、僕の大好きなボクサーの井上尚弥選手も「基本が大事」って言ってたので。
久我和幸という人物と自分との共通点は何かありますか?
久我和幸は、作中のオーディションに参加した唯一の部外者。劇団「水滸」の人たちの中に外部の人間として入り込むという設定は、素直に受け入れられました。というのも、僕は本職が俳優一本というわけでないので、共演者の本職が俳優という方たちの中に飛び込んでいくという状況も、久我に重ね合わせられるんちゃうかな、と思ってました。
なので正直、久我を演じる上で素の自分もだいぶ反映されてると思います。ただ、僕自身は久我と違って、劇団「水滸」に入りたいとはもちろん思っていない。なんならあんなところ行きたくないとまで思ってる(笑)。でも久我は入りたくて仕方がないと。
そこで、久我にとって劇団「水滸」ってどういう場所なんだろうっていったん想像して、その後、僕、重岡大毅にとって、今めちゃくちゃ入りたいところってどこだろうって考えてみました。で、僕が今一番入りたいところに向ける熱意と同じものを久我にも重ねて演じました。
とにかく突き詰めていくと自分事になっていくように、僕にとっては自分と重ねられる部分を探して、お芝居にも生かすというのが向いているように思いますね。
同世代の役者が集まって共同生活を送るという劇中での設定と同じく、今作では同世代の役者が勢揃いしました。現場での雰囲気はいかがでしたか?
一発で仲良くなりましたね。まず、クランクインの日がもうほぼ全員一堂に会するシーンだったんですよ。で、最初様子を伺った感じ、他の役者さんたちは別の現場でも会ったことがある顔馴染みで、みんな「おお、久しぶり」みたいになるんです。
そんな中でね、見つけたんですよ1人。気が合う人を。それがね、岡山天音くんでした。
なるほど(笑)。どういう風に仲良くなったのでしょうか?
だる絡みしました。もうね、いじくり倒しましたね(笑)。もう本当に、面白くて仕方ないんですよ、天音くんって。で、天音くんにばーーっと話しかけると、面白い返しをしてくれるんです。そういう時も僕結構周りを見てしまうんですけど、中条さんとか笑ってくれてるかなとか、全員の顔をチラチラ見ながらひたすらふざけあってました。間宮くんからは「お前ら仲良し男子高校生かよ」って言葉が出るくらい。
すごく和気あいあいとした現場だったんですね。
そうですね。ただ、お芝居が始まると皆さんさすがの一言。それぞれ、声だったり仕草だったり、オンリーワンの個性を持っているからこそ、彼らの演技に引き込まれたり、このあとはどういう風に演じるんだろうと思わせられたりと、僕自身ワクワクしながら、また刺激をもらいながら撮影に臨んでました。
撮影を終えてみて、共演者の皆さんとの関係性もだいぶ変わったのではないでしょうか。
出演のオファーをいただいたのが2022年の11月か12月だったんですけど、共演者はこの方々ですって言われて名前が書かれた紙を渡されたんですよね。今改めて映画のパンフレットに並んだ名前を見ると、1年前に感じたことと今思うことと全然違いますよね。この人はこういう人、この人とはこんな思い出があるなとか…色々な感情が湧いてきます。
…あれ、なんか涙もろくなってきたな俺(笑)。
余談ですが、もし作中と同じように共演者のみんなとルームシェアしたらそれぞれ何係になりそうですかね?
絶対楽しいですよね。ちなみに僕は優柔不断な上にびびりなので、誰でもできそうなことをめっちゃ頑張るかもしれないです。こんな感じで机の上にあるものをピシッとね、真っ直ぐ平行に並べたり(笑)。
几帳面すぎます(笑)。
リーダーシップを発揮するというよりかは、わちゃわちゃ騒ぐのが好きなので、盛り上げ役になってるかもしれないですね。もちろん掃除とかは絶対します!