敬虔なクリスチャンであったシルヴィアにとって、制作とはほとんど祈りのようなものであった。会場には、《シエナの聖カタリナ像とその生涯の浮彫り》といった彫刻や、《家族の肖像(4)》などの絵画ばかりでなく、日本で手がけた素描や切り絵が数多く展示されており、その主題の多くがキリスト教から採られている。しかし、制作と信仰の関係はそればかりではない。
シルヴィアの素描や切り絵は、油彩画などの完成作へと結実する制作のいち過程に位置付けられているのではなかった。また、シルヴィアはそもそもこれらの作品を人に見せることを意図して手がけていたのでもない。これらの作品は、いわば一日の終わりに祈りを捧げる行為として、切実な祈りのきわめてパーソナルな形象として生み出されたものであったのだ。
本展に出品されている素描や切り絵は、コラージュの形式をとっている。これはシルヴィア本人による構成でなく、彼女の亡き後、夫の春彦が、その足跡が忘却されることを恐れて、残されたスケッチブックや紙片を数年にわたって整理した結果生まれたものである。この意味でこれらのコラージュは保田夫妻によって“共同制作”されたものであり、シルヴィアの祈りの姿を静かに今へと伝えるものだといえるだろう。
セカルとシルヴィアの作品は、ひとつの室内に、さながら礼拝堂を思わせる配置で展示されている。言葉では語りえぬ記憶を造形化したセカルの作品と、信仰と結びついたシルヴィアの作品が織りなす、静かな響き合いを楽しみたい。
東勝吉は、林業の盛んな大分県の日田に生まれ、長年木こりの仕事をしていた。78歳で由布院の老人ホームに入所し、静かな余生を送っていた東は、ホームの園長から水彩画具を贈られたことを契機に、湯布院などの風景を描き始める。美術との縁はなかったものの、驚くべき熱意と集中力を示し、83歳から99歳で亡くなるまでの16年間に100点あまりの水彩画を残した。
《春ノ由布山》や《耶馬渓もみじ 羅漢寺》、《由布雪》など、東の風景画に人が描かれることは少ない。大胆にフォルムを省略しつつ緻密な描写を駆使したその作品は、四季折々に移ろう自然の一瞬を画面の上へと永久に留めおく、力強さと静謐さを湛えている。
水彩画を描く際、東は風景の写真を求めたものの、写真を精確に模写するのではなかった。制作のベースにあったのは、木こり時代に自らが身をもって体験することで会得した、自然に対する感覚と敬意である。写真が写す自然の姿は、自らの心のうちにある自然の記憶を引き出すためのいち契機として作用したのだった。
増山たづ子も、職業的な作家ではなかったという点では東と共通する。岐阜県旧徳山村の農家の主婦であった増山は、ダム建設のために水没が決まった村を、全自動カメラによって60歳から28年間にわたって撮影を続けた。
撮影の背景には、夫の出征があった。第二次世界大戦中、“史上最悪の作戦”とも言われるインパール作戦に従軍しておそらく戦死したであろう夫が、もし帰還したならば──旧徳山村の風景、行事や人びとを写した増山による写真は、水没して二度と目にはできぬ故郷の姿を夫に向けて残すための、痛切な記録であったのだ。
撮影総数は10万カット、増山自身が整理したアルバムは600冊に及ぶ。本展ではそのなかから、生前に現像されたオリジナルのプリント約400点を出品。写真を数点ずつ箱の中に収めて、春夏秋冬の一巡を基調に展示している。それぞれの箱には、農作業中の女性、元服や盆踊りといった村の行事の様子、そしてささやかな自然の風景など、類似したイメージが併置される。一方で、しばしばその中に異なるテーマの写真が差し込まれるのは、ほかでもなく増山のアルバムの特徴を踏まえているためだという。