アントワープの6人は、1990年代に新しいモードの波としてファッション業界を席巻したデザイナーたち。ドリス・ヴァン・ノッテン(Dries Van Noten) 、アン・ドゥムルメステール(Ann Demeulemeester)、マリナ・イー(Marina Yee)、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク(Walter Van Beirendonck)、ダーク・ヴァン・セーヌ(Dirk Van Saene)、ダーク・ビッケンバーグ(Dirk Bikkembergs) らを指す。のちにマリナ・イーがデザイナーを引退し、マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)と上記5人とを合わせて「アントワープの6人the Antwerp Six)」、あるいはマルタン・マルジェラを加えた7人を「アントワープの7人(the Antwerp Seven)」呼ぶようになった。 1985年、アントワープ王立芸術アカデミーのファッション科を卒業した学生6人が、作品をバン1台に積み込んでロンドンファッションウィークの「ブリティッシュ・デザイナーズ・ショー(展示会)」に参加したところからはじまる。 きっかけは当時ベルギー政府がモードの活性化のために企画したことで、若いデザイナーの創造性と生産工場を結びつけることを目的としたコンクールにグループで参加していたことだった。そのコンクールにはマルタン・マルジェラと後のアントワープの6人と言われるメンバーの7人で参加。コンクールは3回続いたが、あまりいい結果は生まれなかった。ドリス ヴァン ノッテンは当時を振り返り次のように語る。 「靴まで完璧なコレクションだったが、スポンサーはつかないし、工場も商品化を考えてくれない不満の残るものだった」 結局その間、マルタン マルジェラはジャン ポール ゴルチエに就職が決まりメンバーから抜けることになり、メンバーは6人となる。 その後85年、86年と2回にわたってロンドンのファッションウィークに6人のメンバーで参加。6人合同でショーを開き、それをマスコミが取材したことでアントワープのファッションに注目が集まる。 これは世界中で「アントワープの6人(the Antwerp Six)」と称えられ、以来「アントワープ」がファッション業界で脚光を浴びることとなった。ちなみに「アントワープの6人」と呼ばれた由縁であるが、これは6人の名前が外国人には呼びにくく、覚えてもらうのが難しかったため「アントワープの6人」と一括りで呼ばれたもの。注目は集めたものの、実際には商品化の依頼が殺到したわけではなかった。 しかし、ロンドンでのコレクションを機にドリス ヴァン ノッテンはメンズ、ウォルター ヴァン ベイレンドンクはニット、ダーク ビッケンバーグは靴など工場とコンタクトを取るようになり、それぞれその分野からデビューしていくことになる。彼らがそれぞれ別の分野でデビューしたのは意図的なものではなく、その分野からしか取引がなかったからだった。 しかし、それぞれのデザイナーは徐々に実力が認められ世界中の有名ショップ(ブティック)からオーダーを受けるようになり、90年代に新しいモードの波として彼らを中心としたアントワープ出身のデザイナーがパリモードを席巻することとなる。
アン ドゥムルメステール(ANN DEMEULEMEESTER)はベルギーのファッションブランド。
ダークで詩的、ロマンティシズムとモダニズム、そして強さと脆さが融合。黒、白を基調としたモノトーン...
ビッケンバーグ(BIKKEMBERGS)はイタリアのファッションブランド。
スポーツとファッションを融合させたスタイルで有名。ブランドのコンセプトは、「Mens sana in corporoe ...
ドリス ヴァン ノッテン(Dries Van Noten)はベルギーのラグジュアリーブランド。様々なカルチャーやテイスト、時代を融合させて、シーズンスタイルをつくり続けている。
メゾン マルジェラ(Maison Margiela)は、フランスを拠点とするファッションブランド・メゾン。ウィメンズ・メンズウェア、アクセサリー、シューズ、フレグランスなど幅広く展開。
衣服の再構...
...ン科を卒業した学生6人がロンドンコレクションの「ブリティッシュ・デザイナーズ・ショー(展示会)」の「アントワープの6人」展に自身のブランドを率いて参加する。
93年から99年(2000S/S)まで...
...roes」をオープンし、そこで自ら制作した服を販売。1983年ベルギーのコンテストで優勝。
「アントワープの6人」の1人として、ロンドンファッションウィークに参加。(メンバーは他に、ドリス ヴァン...