グザヴィエ・ドラン監督の最新作『たかが世界の終わり』が公開中だ。本作は第69回カンヌ国際映画祭にてグランプリを受賞。前作『Mommy/マミー』の審査員特別賞受賞、前々作『わたしはロランス』でのある視点部門女優賞受賞に続き、3作連続となるカンヌ映画祭での受賞となった。
劇作家ジャン=リュック・ラガルスの舞台劇「まさに世界の終わり」を基にグザヴィエが切り撮るのは、愛しているのに傷つけ合う“ある家族の1日”。長い間帰郷していなかった人気作家が12年ぶりに故郷に帰り、家族に自身の死が近づいていることを告白することで表面化する、家族の葛藤、そして彼らの不器用な愛を描いたストーリーとなっている。
キャストには、『サンローラン』での演技の評価が世界的に高いギャスパー・ウリエルのほか、007シリーズ最新作『スペクター』で歴代最高のボンドガールとして実力と人気が急上昇したレア・セドゥ、マリオン・コティヤールを中心に、ヴァンサン・カッセル、ナタリー・バイなど、フランス映画界のベテラン俳優が集結した。“愛と葛藤”を描き続けたドラン、今度は“家族”をどう描くのだろうか。
今回公開に先駆け、監督のグザヴィエ・ドランと主演ギャスパー・ウリエルにインタビューを実施。最新作『たかが世界の終わり』についての話しや役者・監督という仕事への思いを聞くことができた。
グザヴィエ・ドランは『マイ・マザー』や『胸騒ぎの恋人』で鮮烈なデビューを飾り、以来全作品がカンヌやベネチア映画祭に出品され、一躍時代の寵児となった映画監督だ。
これまで、すべての人にとって普遍的な「母親」「愛と葛藤」といったテーマを様々な切り口と独自の映像世界を通して表現してきた。共感せずにはいられない、心揺さぶられるストーリーテリングが魅力だ。センスの光る音楽使いも特徴となっており、チャイコフスキーからオアシスまで網羅する幅広い選曲・かかるタイミング・音量までもが絶妙。ストーリーをより一層引き立てている。
さらに彼は、その美しい容姿からルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)のアンバサダーとして広告に起用されるなど、映画界の枠を超え、存在自体が新時代のカルチャーアイコンとして支持を得ている。
そんなグザヴィエは本作で“家族”をどう描くのだろうか。
今までこんなにも怒りや恨み、辛い感情に満ちた登場人物を扱ったことがありませんでした。愛すべき人物とは言えない彼らを描くことは、私にとっても役者たちにとっても挑戦でしたが、結果的に監督と俳優をひとつに束ねてくれました。人間を見い出すこと、彼らの心にアクセスすること、そしてこの登場人物たちが、私らに心を委ねてくれるまでの道のりを一緒に歩いた作業でした。
アントワーヌですね。彼の怒りや暴力性に自分を感じます。子どもの頃はよくケンカをして学校やサマーキャンプを追い出されたりしていて、でもある時突然、そういったものがなくなりました。
劇中では、パリの男性デュオ「エキゾチカ」のエレクトロニックなサウンドや、オーケストラが紡ぎ出す美しいメロディー、さらにオゾンの「恋のマイヤヒ」に、ブリンク182のロックな音色など、様々な音楽が流れる。まるで、ほとんど喋らないルイや家族の感情の揺れを伝えているよう。
音楽を共に手掛けたガブリエルと、テンプトラック(仮の音楽)を使って音楽を決めていきました。彼は私が描きたい感情やトーン、フィーリングといったものを正確に汲み取って、抽出してくれる。それでいて、しっかりと彼ならではのオリジナリティのある独特な世界観やスタイルで完成させてくれました。
重要なのは、ある午後この人たちが一緒に時を過ごし、一つの空間でどう展開するのか。誰かが耳を傾けていて、誰かは上の空、誰が誰を見ていて、誰が誰を守ろうとしているか。これは人生そのもの。お互いに驚くほど無関心で、愛し方を知らない人たちの人生の中で、瞬きのような、とても限られた一幕。観客のみなさんに判断を委ねています。
親、こども、兄弟、姉妹、愛と様々なテーマを取り上げてきましたが、私がいつも表現しているのは、「子供時代に経験した人間の基礎」について。「チャイルドフッド=子供時代」は私が映画を通していつも言いたいことなんです。自分の子供時代や過ぎ去った日々の「匂い」や「音」、「手触り」をいつも映画の中に探しています。
私はまだ27歳だけど、すごく懐古主義的な人間なんですよね。だからといって、過去を生きているわけじゃなく、「今」を生きるために「過去」を改革しようとしてる。世間の常識や、社会情勢、現代人としての価値、そういったものに、私は生きる価値を見出してないんです。ウブかもしれないけど、私は過去に自分が感じたピース(平和)な時間で私を動かしてきたものを、物語や映画を通して「今」に再注入しようとしてるんです。自分が生きたい未来を創るためにね。