映画『ゲティ家の身代金』が、2018年5月25日(金)に全国の劇場で公開される。
監督は『エイリアン』『ブレードランナー』『グラディエーター』『オデッセイ』など、これまで数多くの名作を世に送り出してきた巨匠、リドリー・スコット。彼の最新作は、1973年に実際に発生した誘拐事件を、重厚な物語とスリリングな展開で描く人間ドラマだ。
“世界中のすべての金を手にした”と言われた大富豪ジャン・ポール・ゲティ。愛する17歳の孫ポールが誘拐され、1,700万ドル(当時の価値で約47億円)という破格の身代金を要求されたゲティだったが、その支払いを拒否。彼は大富豪であると同時に、稀代の守銭奴でもあった。
離婚によりゲティ家から離れ、中流家庭の人間となっていたポールの母ゲイルは、息子のため誘拐犯のみならず世界一の大富豪とも戦うことに。一向に身代金が払われる様子がないことに犯人は痺れを切らし、ポールの身に危険が迫るが、事件は思いもよらぬ展開へと発展していく。
ハリウッドには、映画化前の優秀脚本リスト「ブラックリスト」と呼ばれるリストがある。業界の重役をはじめ関係者が映画化されていない脚本を投票で評価するものだ。
『ソーシャル・ネットワーク』や『セッション』、日本でも人気の高い『(500)日のサマー』などが過去にリストに載った作品。リストに載った脚本は、後にアカデミーやゴールデングローブ賞を受賞することが多いことで知られており、デヴィッド・スカルパによる『ゲティ家の身代金』の脚本は、制作前から既にお墨付きを受けていた。
巨匠リドリー・スコットが監督する上に、期待を集めた脚本だけにキャストも実力派揃い。アカデミー賞に多々ノミネートされる演技派がキャストに加えられた。主人公のアビゲイル・ハリス役を演じるのは、ミシェル・ウィリアムズ。元CIA捜査官で誘拐事件のアドバイザーとなる人物フレッチャーをマーク・ウォールバーグが演じることになった。
『グレイテスト・ショーマン』『ワンダーストラック』などをはじめ、数々の話題作に出演してきたミシェル・ウィリアムズ。『ブルーバレンタイン』『マリリン 7日間の恋』でアカデミー主演女優賞、『マンチェスター・バイ・ザ・シー』で同助演女優賞にノミネートされた経歴を持つ実力派だ。
『ゲティ家の身代金』では、誘拐された息子を取り戻すために奮闘する母親を演じ、鬼気迫る演技を見せてゴールデン・グローブ賞主演女優賞にノミネート。そんなミシェル・ウィリアムズに、役・作品に対する思いや、女優業に対する姿勢について話を聞いた。
40年前に実在し、誘拐犯や、ゲティをはじめとする周囲の人々と戦ったアビゲイル・ハリスという人物像をどのように捉えていますか。
ゲイル(アビゲイル)は非常に孤独なキャラクターですよね。息子を取り戻す、という目的を果たすために彼女のあらゆる力を使って問題に対処していく中で、友も、味方も、守ってくれる人もいなかった。さらに、彼女は、男性が取り仕切る数字やお金の世界の中で戦わなければならず、まるでチェスゲームのように理詰めで駒を進めていく必要がありました。だから、自らの女性的で繊細な部分を封印していたのだと思います。
ゲイルのどのような行動にそういった心情が表れていたと思いますか?
彼女は常に次の一手を1人で考えながら、感情を抑えて行動していました。たとえば誘拐された息子の耳を犯人から送り付けられた場面では、彼女は泣きわめくわけにはいかなかった。感情的になって隙を見せてはいけないという意識の表れだと思います。
実在する人物を演じるにあたりどのようなリサーチをしましたか?
ゲティに関する資料は多いのですが、ゲイルに関して使える資料は限られていて、インターネットに上がっている動画が2、3本ある程度でした。でも、その少ない資料から読み取れる情報は多かった。彼女の口元に表れる癖や、話し方、表情を参考にさせてもらいました。動画を見ると分かるのですが、彼女はとても聡明で、頭の回転が速い女性です。誰かが誤ったことを言えば即座に正すような鋭さが見受けられました。
あと、当たり前ですが彼女はすっかり疲れ果てていて、そういった様子も参考になりました。
時代は異なりますが、ゲイルという女性を現代の観客にどのように見せたいですか?
当初は1970年代を生きる女性だと解釈していましたが、勝算の無い世界の中で奮闘するゲイルを演じていくうちに、彼女を取り巻く状況が現代と共通することに気が付きました。40年前と現代で変わっている部分も勿論ありますが、まだ社会は平等とは言えません。現代を生きる私達が誤ったことや差別に向き合い正していくには、社会に現状定められたルールの中で、合理的な解決策や方法を自分自身で考え見つけていかなければならないのだと思います。
ミシェルさんにもお子様がいらっしゃいます。母親という立場から、ご自身とリンクする部分もあったのではないでしょうか。
おっしゃる通り、私も母親なので彼女の状況には非常に共感しました。母親は、どんなに些細な問題であっても子供に何かあれば、解決するまではずっと気が落ち着かないものです。風邪1つにしたって、治るまでは心配。ましてや、この作品では子供が誘拐されているわけですから、ゲイルは極限状態にあったはずです。
演技にも子供を切に思う“母性”が反映されていたと思います。
母親として、子供を守ってやらねばという気持ちが元々私の中にあるのだと思います。母性を表現したというよりも、子供1人ではどうにも対処できないことに直面して、母性が自然発生的に出てきたのではないでしょうか。