モンクレールWを通じて思い出に残っていることはありますか?
偶然訪れたとある空港で、全てモンクレールWでディスプレイされたモンクレールの店舗を見たことです。先にも言ったように、この時はビジネス的な事というよりも、強い物、面白い物を軸にデザインをしていました。デザインする事がコアにあった仕事です。
その時の洋服が空港という人々が行き交う場所で、多くの人の目に触れている状況にはデザイナーとして感動しましたね。
デザインが世の中に広がるインパクトを自分の目で見て、僕がやりたかったことはこれだと思いました。結果を出す仕事を続けたいと思いました。
多くのブランドからコラボレーションのオファーが来ているのはなぜだと思いますか?
受けたミッションもブランドによって様々ですが、ホワイトマウンテニアリングに対する考え方は同じでした。 そして、それぞれが行いたいミッションを、ホワイトマウンテニアリングと一緒に行えば実現できると考えて貰えるからこそ、提案を頂けるのだと思います。
その状況に至るまで何が重要だった思いますか?
その背景には、ずっと同じコンセプトの元、ブランド作りを行ってきた事にあると思います。
今まで行ってきたコラボレーションワークには共通点があり、ホワイトマウンテニアリングでやってきた事を拡大解釈して、新しい方向性を出していけるブランドと取り組んできました。コラボレーションしたモンクレールはフランス・イタリア、バブアーはイギリス、アディダスはドイツ、 バートンはアメリカと国も異なれば、扱っている製品や価格帯も異なります。
ホワイトマウンテニアリングの洋服と、アウトドアの響きがあるブランド名を介して 、 提案していることが世界中にわかりやすく伝わっていることを感じます。 もしブランド名をYOSUKE AIZAWAにしていたら、ブランドとしての伝わり方が違ったかもしれません。
デザイナーを続けていく中で変わったことありますか?
ものづくりに対する考え方は変わりました。1人で完結するより、チームとしてアイデアを出していく楽しさを覚えました。昔は、自分が納得するまでこだわってデザイナーとして絵を描いていました。しかしこのやり方だと限界があります。
例えば、 1日1枚しか絵が書けないとすると、1人で抱えていると1年間で365枚しか書けません。
毎日デザインの事だけをできるわけではありません。
今は1人で抱えきれない仕事があるし、信頼できる仲間も周りにいる。
当然、人によって、面白いと思う視点は異なります。異なる意見、アイデアをくみ取りながら、チームと前に進めていきます。
洋服は、芸術作品ではありません。自己完結せずに、お客さんに“面白い”“欲しい”“着てみたい”と思わせることができる。それが面白いです。
2018年春夏コレクションからは、ハンティング・ワールドのクリエイティブ ディレクターに就任。そして、2018年からは母校である多摩美術大学の客員教授にも就任。さらに活躍の場を広げる相澤の心境を聞いた。
相澤さんから見て、ハンティング・ワールドの印象は?どのようなブランドですか?
実は、父がブランドの代名詞であるバチュー・クロスの鞄を愛用していました。デザイン関係の仕事をしていた父は、ハンティング・ワールドの鞄に、ブルックス ブラザーズのシャツを着て、オールデンを履いていました。そのスタイルが、大人の背中のような印象として残っています。
ラグジュアリーな品格を持ったブランドだという魅力もありますが、個人的な繋がりがあった愛着のあるブランドだからこそ、クリエイティブ ディレクターを引き受けました。
どのような役割を担いたいと考えていましたか?
ディレクターとして、ものづくりに関わる人の中心になり、ハンティング・ワールドのスタイルを示し、みんなで同じ方向を向き、ブランドを前に進めたいと思いました。
ハンティング・ワールドは歴史あるラグジュアリーブランドらしく、ルーツはアメリカで、フィレンツェに工房があり、そしてアメリカや日本にデザインチームやショップがあります。地域やチームが複雑化するとコミュニケーションが不足し、方向性がバラバラになりがちです。就任前に、多くのチームと会う中で、フィレンツェやアメリカのチーム皆が歓迎してくれたので、嬉しかったです。
ハンティング・ワールドをどのように前に進めていくつもりですか?
まずは、トータルのライフスタイルブランドであることが重要だと思います。専門ブランドになってしまうと、専門的なことをやり続けるしかない。代名詞である鞄ブランドだと思いこむと、横の広がりしかできません。
そうではなく、洋服と組みあわせたシーンを提案することで、シーズン性を出していきたい。縦にも横にも可能性を広げる事が大切です。
そうすることで鞄も輝いてくると思っています。
品格のあるブランドなので、多角的な目線でハンティング・ワールドが持っているスタイルを提案していき、より魅力的なブランドになることを描いています 。
最後に母校の多摩美術大学の客員教授への意気込みを教えてください。
若者が人生について考え、決める瞬間に立ち会うわけですから重要な仕事です。
この5年間、金沢美術工芸大学で講師をしていることもあり、ある程度教えるという意味は理解できているので、意気込みという特別な物はないですが、6月のパリコレクションの発表より、授業の方がプレッシャーかもしれません。(笑)
また、僕自身が勉強したいという気持ちも強いです。人に教えることは自分を客観視することでもあります。自分自身が40歳を超え、若い人と喋る機会が減っていくことを、それでいいと思ってしまうことも怖い。分断されていくことを選ぶのではなく、等身大のデザイナー目線で学生と向きあいたいですね。