1990年代はファッション産業のグローバル化が進んだ時代。世界のファッション産業は89年のベルリンの壁崩壊以降「大移動期」に入る。グローバル化の進展は企業の生産拠点を海外に移すことを可能にし、より低賃金で労働力を手に入ることが可能になる。徐々に東欧や中国などアジアに生産拠点が移っていく。この動きを利用し途上国側も外資系企業を誘致して産業の振興に乗り出していく。
IT革命、効率化、生産拠点の移動による低コスト化が90年代のキーワードだ。
1990年代はIT革命が起こる時期でファッションにも大きな影響を与えた。流通システムにおける効率化、SCM(サプライチェーンマネジメント)が進み、 製造から製品が消費者に渡るまでの無駄を省き、原料から最終的にアイテムが人々の手元に届くまでのリードタイムが一気に短縮した。また在庫の調整、コストの削減、それによる利益の増加を達成することが成功のキーとなった。
カスタマー管理・CRM(カスタマーリレーションマネジメント)も重要となる。顧客の要望にいかに対応するかが重視され、顧客戦略を推進。誰が、いつ、どこで、何を買ったかを把握し、必要な時期に新アイテムを提案するなど、顧客とのリレーション構築が重要になった。また、グローバルでの競争に勝つためには、データをもとにした流行を先読みする企画力大きな意味を持つようになった。
IT化などを進めることができないブランドやローコスト体質が実現できない企業、例えば小さなブティックやブランドは非常に不利な状況に追い込まれる。体力のある大手のブランドやアパレル企業に負けてしまうから。こうしてファッション業界再編が進む。ブランドが大きな企業に買収されたり、小さなブランドや効率の悪いブランドはビジネスをクローズしていく。
そのような流れで力を持ち始めてきたのが、高級ファッションであればLVMHグループ、カルティエを傘下に持つリシュモングループ、グッチを傘下に持つPPR(現ケリング)、ファストファッションではH&M、ZARA、ユニクロなど。グローバル化に伴い、大手ラグジュアリーブランドは企業の買収・合併を繰り返し、リストラクチャリングを進めシェア獲得、生産の効率化を図る。まさにファッションがビジネス市場に”本格的”に取り込まれた。
■LVMH(モエヘネシールイヴィトン)
ルイ・ヴィトン、ロエベ、セリーヌ 、ケンゾー、エミリオ・プッチ、ディオール、ジバンシィ、フェンディなど
■PPR
グッチ、サンローラン、ボッテガ ヴェネタ、セルジオ ロッシ、アレキサンダー マックィーン、バレンシアガ、ステラマッカートニー
※PPRはフランスの流通大手
■リシュモングループ
カルティエ、モンブラン、ダンヒル、クロエ
そしてこれら大企業はほとんどが上場企業。株式上場は莫大な資本を集めることが可能になり、それをを元に世界戦略にのり出すことができるが、一方で、常に利益を上げ続けることを市場に約束することにもなる。つまり、デザイナーは今まで以上にビジネス面を意識した服を提案しなければならないのだ。
最先端や奇抜なデザインにこだわると売れない可能性があるため、常に話題を集める、売れるアイテムを供給する必要が出てくるる。
それにより…「日用品」的なデザイン、ある程度売れると予測の立つアイテムが市場に多く出回ることになった。
ビジネス戦略が強調されつつある中で、多くのインディペンデントデザイナーが財政上の問題からファッション業界からの撤退を余儀なくされる。例えばウラハラ(裏原)も以前は独立系のショップが多かったが、表参道の活性化に伴い、大手ファッション系企業の系列ブランドの出店が増えてきた。
特徴的なコメントを2つ
ジョルジオ・アルマーニ:
「これがファッションだからこんなふうに着なくてはならない、そういうやり方が終わったということです。」(1997年ニューヨーク誌)
エリック・ベルジェール:
「インディペンデントデザイナーは、ビッググループに身売りするか、採算を考えずにやりたいことをやるか、どちらかしかない。」(2002年WWD)
元エルメスのデザイナーで、独立し、自分のブランドを設立したエリック・ベルジェールは上記の言葉を言い残してビジネスをクローズしました。
デザインが、トレンドや売れる服というポイントでこそ機能するようになり、ラグジュアリーブランドも大企業化、さらにファストファッションの品質も徐々に向上し、プレタポルテと呼ばれたシステムは徐々に飲み込まれていく。90年代に活躍したデザイナーは気が付いたら多くが力を失っていた。
一方で、そのシステムに上手く入ることができる器用な天才デザイナーが力を持つようになる。エディ スリマン、カール ラガーフェルド、トム フォード、フィービー・フィロ、ニコラ・ゲスキエール、マイケル コースが上げられる。