貧富の差がある2つの家は、韓国の二極化した現代社会を表している?
ポン・ジュノ監督:はい。ただ、それは韓国だけに言えることではなく、世界中がこの問題を無視できない状況に直面しています。今日の社会には、目に見えない階級やカーストがある。私たちはそれを隠し、過去の遺物として表面的には馬鹿にしていますが、現実には越えられない階級の一線が存在します。
『パラサイト 半地下の家族』では、ますます二極化の進む今日の社会の中で、 2つの階級がぶつかり合う時に生じる亀裂を描いているのです。相反する2つの階級が非常に接近した時に、お互いに悪意が無かったとしても、本当に些細な誤りによって亀裂や爆発が起こりうると思うのです。
なぜ、“貧富の差”や“二極化”を描こうと思ったのですか。
ポン・ジュノ監督:実は、最初から“二極化”をテーマにしようと思って制作をスタートしたわけではありません。それよりも、私は絶えず面白い話や独特なストーリーはないのかな、と言うことにいつも思いを巡らせていて、「どうしたら面白い映画を作ることができるのか」ということを考えているうちに今回のストーリーを思いつきました。
例えば、貧しい息子が家庭教師として裕福な家に入っていき、貧しい人たちが裕福な家にどんどん潜入していく……、そんなプロセスを考えていたら、これはとても面白そうだと思ったのです。
ただ、現実には、この映画に登場する失業中の貧しい一家と、パク家のような家族の人生が交わることは滅多にありません。しかし、 唯一あるとすれば、誰かが家庭教師、または家政婦として雇われるなど、階級間で雇用関係が生まれる時だと考えました。
当初から二極化を描こうとしたわけではなかったのですね。
ポン・ジュノ監督:私は経済学者でも社会学者でもないので、貧富の差を出発点に何かメッセージを伝えようとして、『パラサイト 半地下の家族』を考案したわけではありません。どちらかと言えば、突拍子もないけれど面白いと思う事を突き詰めてシナリオを書き進めていくうちに、結果的に裕福な人と貧しい人が描かれていた、という感じです。もちろん、自分自身でそういった人たちをのぞき込んで深掘りしたいという欲はありますが……。
過去の作品においても、監督のアイデアは“面白さ”からスタートしているのですか?
ポン・ジュノ監督:アイデアは、私達の日常の至るところにあふれているものだと考えていて、それをその都度どのようにキャッチできるかということが重要なのだと思います。そのためにはやはり、アンテナを絶えず鋭敏に張っていなくてはなりません。
傑作の出発点というのは、まず私たちの体や手先から感じられる、一見簡単そうに見えるところから生じているのだと思います。だからこそ、ただただ機会を待っているのではなく、自分の状態を敏感に保っていなければならない。鈍らないように、自分自身を繊細で敏感な状態に保つように努力しています。
この映画には“半地下”や“切り干し大根”など、韓国文化に根差した描写が多く登場します。他の国の観衆からはどのような反応がありましたか。
ポン・ジュノ監督:韓国文化に根差した具体的な描写は、当初外国の方に理解していただくのは難しいのではないか、と思っていました。でも、いざ蓋を開けてみたら、カンヌ国際映画祭をはじめ、海外の皆さんにも受け入れられている実感がありました。
なぜ受け入れられたのか?私としては、何か普遍的なものやユニバーサルなものを作らなければ、と思っていたわけでもありませんが、全世界の都市での暮らしぶりや生活が以前にも増して均質化しているからではないでしょうか。インターネットやSNSを通じて、人々の暮らしを覗き見ることができるようになり、バリアや障壁がどんどん無くなってきている。
たしかに、他国の文化も容易に知ることができるようになりましたね。
ポン・ジュノ監督:たとえば、今回のオープニングで登場する半地下の家は、韓国ではない他の国の人が最初に見たら「変わっている、韓国にはこんな半地下の家が存在しているのか」と思ったかもしれません。しかし、その後すぐに、息子や娘がWi-Fiのアンテナを探すというシーンが出てきます。
それを見た瞬間に、海外の観客にも接点が生まれ、心がオープンになるのだと思います。なぜなら、全世界のどこでも、今や誰もがWi-Fiのアンテナを探すのが日常的な光景になっていますから。この冒頭の場面は、意図せずに普遍的なシーンになったのだと思います。
お2人は過去にもタッグを組んでいます。どのように撮影を進めていますか?
ソン・ガンホ:以前、ポン監督と『殺人の追憶』を撮影していた頃から、監督と私はたくさんの会話を通して撮影を進めていくというよりも、自分なりに解釈をして自由に表現をすることの方が大切だと考えてきました。クリエイティブな感性に任せて、演技を見せた方が豊かな表現ができると考えているのです。
ポン・ジュノ監督:『パラサイト 半地下の家族』では、事前にシーンについて俳優と真剣に話し合ったのは、体育館のシーンとクライマックスの2回のみです。ある意味豪快ともいえるかもしれませんが、私自身が、シナリオや台詞、絵コンテを書いているので、その時点で既に俳優には私が何を求めているのか、表現できていると思うのです。
そして、ソン・ガンホさんを含め、全キャストの皆さんが台本をしっかり把握・吸収して、それぞれの方法で解釈し、アプローチしてくれます。キャストの想像力と、私自身の解釈を持って現場に集まれば、あとは一緒に撮影していくだけのことです。
お互いに信頼し合っているのですね。
ポン・ジュノ監督:だからこそ、私たちの現場ではリハーサルをほとんどしていません。私も俳優の皆さんも、あまりそういうスタイルを好んでいないのだと思います。日本では、事前にスタジオに集まって本読みをすることがあるようですが、事前に台詞合わせをして、台詞や感情の消耗をするようなことはだれも望んでいなかったのです。それよりも、現場で物理的に必要な部分、カメラワークの確認は事前に行うようにしています。
ネタバレ厳禁、世界で話題を集めているクライマックスについてお伺いします。クライマックスのシーンはどのように進めましたか?
ソン・ガンホ:実は、クライマックスのシーンは監督が脚本に書いたものから少し異なる形となりました。シナリオよりも、さらに赤裸々で果敢な場面に仕上がっていて、私はその方が強烈で良かったと思っています。なぜかというと、監督にもお話したことですが、現実はもっと残酷だからです。冷酷な環境の中で生きているからこそ、果敢に撮ったことが結果的に正しかったのだと思います。だから、クライマックスの撮影には、一瞬のためらいもなく臨みました。
シナリオとは異なるシーンになったのですね。
ポン・ジュノ監督:当初シナリオ上では、事実の描写を曖昧に描いていました。しかし、絵コンテを描きながら、より一層露骨な形に変更したくなった。その時に、ソン・ガンホさんに「変更したいのですが、どう思われますか?」と相談したところ、“現実の方がより惨いものだ”と快く同意をしてくれました。そのおかげもあり、クライマックスシーンの撮影はとてもスムーズに進みました。
最後に、観客には『パラサイト 半地下の家族』から何を感じてほしいですか?
ポン・ジュノ監督:観客が多くのことを考えてくれたら嬉しいです。この社会で絶え間なく続いている、 “二極化”や“不平等”を表現する1つの方法は、悲しいコメディとして描くことだと考え可笑しく、恐ろしく、悲しい物語を作りました。
一見独特なストーリーに見えますが、実は現実の世界でも起こり得る物語です。『パラサイト 半地下の家族』を観客がどのように評価しても反論するつもりはありません。私は常に観客の期待をひっくり返そうと全力を尽くしていますし、本作でもそれが成功していることを願っています。
キム・ギテク(ソン・ガンホ)
家族全員が失業中の、一家の父。過去に度々事業に失敗、計画性も仕事もないが楽天的。演じるのは韓国の名優ソン・ガンホ。ポン・ジュノ監督とは、『スノーピアサー』『グエムル -漢江の怪物-』『殺人の追憶』に続く4度目のタッグとなる。