洋服だけでなく、時代の流行までも創り出すファッションデザイナーやディレクターたち。ファッションプレスでは、これまでミハラヤスヒロ、クラネ(CLANE)の松本恵奈、ビューティフルピープル(beautiful people)の熊切秀典、フットザコーチャー(foot the coacher)の竹ヶ原敏之介など、国内外で活躍する様々な日本&海外デザイナーたちにインタビューを実施してきた。
ブランドのみならず、ファッション業界を引っ張っていく彼らの言葉から感じられるのは、唯一無二の考え方や生き方といった独自の哲学。この記事では、そんな彼らのインタビュー記事をまとめて紹介する。
「クラネ(CLANE)」のディレクター・松本恵奈。2009年に“モードギャル”を提案するブランド「EMODA(エモダ)」を立ち上げ、その後2015年にクラネ デザイン株式会社を設立。モードで大人な女性のイメージである新ブランド「クラネ」をスタートした。
「クラネ」のコンセプトは、自身のファッションスタイルが影響しているようだ。「私は、ファストファッションと5〜10万円の価格帯のものをミックスして着ることが多く、そんなときに感じるのが、ファストファッションよりも良いもので、ハイプライスのものよりはもう少し気軽に買えるものがあればいいな…という気持ち。その“あればいいな”という部分を、具現化させたのがクラネです。」
デザイナー・三原康裕は独学で靴作りを始め、1996年に「ミハラヤスヒロ(MIHARA YASUHIRO)」の前身であるオリジナルブランド「アーキ ドーム(archi doom)」を立ち上げた。2000年に発売したプーマとのコラボレーションシューズ「プーマ・バイ・ミハラ ヤスヒロ(PUMA by MIHARAYASUHIRO)」で世界的に名が知られるようになる。
インタビューでは、ものづくりに対する情熱的な言葉をもらった。「とにかく好きなんです、ファッションというよりは自分で作ることが。とにかく何か作りたい。何か人に向かって作りたい。どんなブランドを作りたいか、というよりは、”今”自分が作りたいもの、歓喜をあげたいもの、それを人が喜んでいる姿。そういうことが先にあります。」
「ビューティフルピープル(beautiful people)」のデザイナー・熊切秀典は「コム デ ギャルソン オム(COMME des GARÇONS HOMME)」のパタンナーを経て、2004年に独立。2007年春夏シーズンより、オリジナルブランド「ビューティフルピープル」をスタートした。
彼はインタビューで、ギャルソン時代に川久保玲から学んだことについてこう答えている。「モノ作りの姿勢ですね。デザイン論とかではなくて、姿勢が学べた。アイロン掛けひとつにしろ、とにかく的確で徹底していました。一度製品のアイロン掛けが間違っていたことがあって、工場に送り返していては間に合わないので、倉庫にアイロンを運び込んで徹夜で掛け直したこともありました。当時は無我夢中でしたが、今思うとそれが糧となっている気がします。」
「ソマルタ(SOMARTA)」のデザイナー・廣川玉枝は、1998年「イッセイ ミヤケ(ISSEY MIYAKE)」に入社し、ニットデザインを中心に活躍。2006年に独立し、ソマデザイン社およびファッションブランドの「ソマルタ」を立ち上げた。
デザイナーの仕事に関して、「縫製がない、無縫製のニットであるスキンシリーズは、『第二の皮膚』というファッションにあるコンセプトに対する私なりのアプローチ。私が学生時代の時、身体の夢展という大きなファッションの展覧会があり、イッセイ ミヤケやジャンポール・ゴルチエなど、多くのデザイナーの「第二の皮膚」に対するアプローチが展示されていました。その展覧会を通じて、デザイナーは皮膚を究極の衣服として目指すものなのだと感じました。」とコメントしている。
シューズブランド「エンダースキーマ(Hender Scheme)」のデザイナー/靴職人の柏崎亮は、学生時代、ブランドのサンプル品を作る靴工房で働き始めたのが靴作りの始まり。実務を通じて靴作り学び、靴のリペアーショップなどでも働きつつ、2010年に「エンダースキーマ」を立ち上げる。
インタビューでは、革で作ったスニーカーに秘められた思いを語ってくれた。「スニーカーは、時間がたつと履き捨てる側面がどうしてもあるので、その逆の、履いて育てていくという要素を加えました。エンダースキーマは製品が完成形ではなく、使い続けてその人の完成品に育ててもらうのを理想としています。」
“ファッションデザイナー三姉妹”の一人として活躍し続けているデザイナー・コシノ ミチコ。1973年に単身渡英し、1976年MICHIKO CO.、その後「ミチコ コシノ(MICHIKO KOSHINO)」を設立した。空気で膨らませる「インフレータブル」シリーズなど、特徴的なデザインでロンドンのクラブシーンやミュージックシーンへ多大な影響を与えた。
彼女はファッションデザイナーという職業に関して、独自の視点で語っている。「普通の人がどうしたらキャラクターが芽生えて、個性が出て、周りの人がその人を違う目でみれるか。それが洋服のパワーだと思うし、それが私たちの職業かなと思います。」
オーセンティック シュー&コーより
メンズシューズブランド「フットザコーチャー(foot the coacher)」のデザイナー・竹ヶ原敏之介は、靴創りをゼロから独学で始め、94年自身のブランド「竹ヶ原敏之介」を設立。その後、1996年よりイギリスのシューズブランド「ジョージコックス(GEORGE COX)」「トリッカーズ(Tricker's)」のビスポークラインを手がけ、2000年に「フット ザ コーチャー」をスタートした。
彼は、靴を作る上で一番大切にしていることについて話してくれた。「やはり履き手の気持ちになって作ることでしょうか。そうすると自然と心がこもったものになりますし、履き心地や耐久性などにも配慮しますよね。自分にとって靴を作るということは、本質的に良いものを履いてもらう為に、時代との調和を図りながらデザインをすることだと思っています。あとは作り手のこだわりやわがままを押し付けないこと。こだわりは醸し出さないと意味が無いと思っているので。」
眼鏡ブランド「FACTORY900(ファクトリー900)」のデザインを手がける青山嘉道。「THE FUTURES EYEWEAR」をコンセプトにした眼鏡は、造形的で近未来的なデザインが魅力だ。
彼は、同ブランドの眼鏡に関して以下のように述べた。「眼鏡を通して心が動くために一番てっとり早い方法が、”非日常を提供すること”なのではないかと思っています。だからFACTORY900の眼鏡は、非日常的で新しいデザインを追求しているのです。」
ニュージーランド発「カレンウォーカー(KAREN WALKER)」を手掛ける、デザイナーのカレン・ウォーカー。ファッション系のカレッジ在学中にブランドをスタートし、1998年香港ファッションウィークで発表したコレクションが評判となり、世界的に知名度を上げた。
背反するものを融合したクリエーションが得意な彼女は、洋服作りに関して以下のように答えた。「異なるイメージを、色んな風にくっつけたり、ミックスしたりしてカレンウォーカーの世界観が創られています。様々な要素をいつ、どのタイミングでどのようにミックスしていくかがクリエーターの腕の見せ所です。その時に重要なのが、自分のフィーリングを信じること。そうして相反する要素が組み合わされて、それぞれのコントラストがまるでマジックのようにエキサイティングなものを生み出していきます。」
イタリア発「N°21(ヌメロ ヴェントゥーノ)」のデザイナー、アレッサンドロ・デラクア。「ジェニー(GENNY)」、「アイスバーグ(Iceberg)」といったブランドで経験を積み、1996年に自身の名を冠したブランド「アレッサンドロ デラクア(Alessandro dell'Acqua)」をスタート。その後2010年に「N°21」を発表した。
人を惹きつけてやまない彼の服は、独自のセオリーを持って作られているようだ。「たいてい刺繍や贅沢なブロケード、レース、シフォンなどエレガントな素材を使うのですが、そこに対照的なジャージ、ラフなニットなどを合わせ、コントラストを生み出します。大切なのは、リッチなものに対照的な素材を組み合わせること。私にとって、フェミニニティはとても重要な要素です。なのでそれを強調するために、マスキュリンな素材をコントラストとして使うのです。」
デザイナーのオランピア・ル・タンは「シャネル(CHANEL)」、「バルマン(BALMAIN)」などで経験を積んだのち、自身の名前を冠した「オランピア・ル・タン(Olympia Le-Tan)」を立ち上げた。刺繍入りの本型クラッチ、可愛らしいイラストがプリントされたドレスなど、まるで絵本の中から飛び出たようなワードローブや小物が女性に人気だ。
ファッションの学校に通わず、デザインスキルを身に着けた彼女。服作りに関して、独自の考え方が伺える。「人がどうやって服を着て、それがどうやって作られているか知っていればデザインの仕事はできると思います。それからどんな生地が、どんな形の服に合うかとか。学校に行かなくても、経験だけで十分です。」
クリスチャン・ワイナンツは「ドリス ヴァン ノッテン(DRIES VAN NOTEN)」のアシスタントとして経験を積み、2002年に独立しブランド「クリスチャン・ワイナンツ(Christian Wijnants)」を立ち上げた。彼はカール・ラガーフェルドなどを発掘した若手デザイナー登竜門のファッションコンテスト「インターナショナル・ウールマーク賞」において、2013年ウールマーク賞を受賞した人物の一人だ。
表情力豊かなニットウェアや自由な色使いを得意とする彼。インタビューでは、自身のファッション観を語ってくれた。「私は、コレクションをキャットウォークだけのものにしたくありません。ショーで見せるものは、皆さんが日常で実際に着ることができるものです。私はファッションはアートだとは思いません。」