私は彼に、どんなに困難だったり代償をともなったりしても、夢追い続けて実現した人の映画を作りたいということを話しました。
基本的にベルジェとは、私が10代の頃に読んだジャック・ロンドンの『マーティン・イーデン』という本の話をして、なぜイヴ・サンローランの映画を作りたいのか話しました。そしてベルジェは「イヴ・サンローランのことを本当によく理解していますね。私はあなたを信じ、財団に協力してもらうために手助けしたいと思います」と言ってくれました。こうして映画の製作が実現しました。
ただサンローランの私生活に関しては、解釈も交えてフィクションに仕立てることが大切だったので、ベルジェに「サンローランがどんなパジャマを着てたか?」などと聞いて、その通りにすることが目的ではありませんでした。ですので私は共同脚本家とともに、私生活の部分は脚色を交えつつ、ラブストーリーとして描いたのです。
あとはピエール・ベルジェともっぱら何のやり取りをしたかというと、コレクションに関わることですね。彼とは「このシーズンのコレクションはなぜ大事だったのか」「このピースはなぜ重要だったのか」など、そういった話をしていました。それから実際に、イヴ・サンローランのファッションショーがどのように企画されたのかということを、彼に聞きました。そういったコレクションやショーの模様については、実際の通りに再現したいと思っていたからです。
少なくとも私にとっては、映画をつくるということは、現実をそのまま真似するのではなく「語るべきストーリー」を作ることだと思うのです。ですので、ウィキペディアのような伝記映画を作るつもりはありませんでした。最初から最後までだらだらと経歴を追うものは作りたくなかったので、(彼の人生の)どこを選ぶかということが重要でした。
語るべきこととして、私はサンローランの20年間を切り取って選んだわけなのですが、それは彼のキャリアにおいても、人生そのものにおいても重要な時期でした。そして脚本を書き映画を撮影したあとで、この映画は愛に関する偉大なストーリーに仕上がったと感じました。
サンローランとベルジェは同性のカップルだったのですが、普遍的にアピールできるものが描けましたし、20年だけにフォーカスすることで、映画にリズムが生まれたと思います。
あと、語り手の視点としてベルジェを選んだのは、彼は“天才ではない人物”だからです。イヴ・サンローランという天才を描くのに、やはり観客はピエール・ベルジェという非天才の視点で語られることに共感を得ることができると思うし……。天才というのは、どこか理解できないミステリアスな部分があることを、非天才の視点から描くことによって表現できたと思います。
はじめからとも言えますし、結果的にとも言えます。映画を作り始めたときは、どのような方向に進んでいくか正確には分かりませんでした。
ただ私が分かっていたのは、バランスが重要だということ。人物描写をしながらも、感動的にさせてくれるものです。私はイヴ・サンローランに関するすべての本や資料を読みました。そして彼の恋愛は、自身のクリエーションに大きく影響を与えていたということに気付いたのです。この発見は、私の映画に、エモーショナルな要素を与えるきっかけになりました。それは何か知的なものではなく、ごく自然なもので、誰でもが共感できる気持ちです。
私たちは人生の中で、誰かを愛する経験をするのですが、それは人生の冒険でもあります。劇中でピエール・ベルジェとの関係は、そういった人間の本能的な部分を物語っていました。それがなければ、映画は単なる天才の物語になってしまい、ただデッサンを書いていたり、ドレスを作っていたり、それだけの話になってしまいます。映画は、オーディエンスとの繋がりが必要です。
使っているコレクションピースはどれも財団が提供した、世界に一着だけしか存在しないもので、値段をつけることができないほどの価値があります。ある意味、美術館の財宝を使って撮影をしている状態でした。ドレスを誰からも苦情のないよう使用し、撮影を終えることは非常に大変でした。
でも実際に作品が完成すると、映画とファッションの素晴らしい融合がなされている、ということが分かりました。言ってみれば、作品中で登場したピースやファッション界は、今日には存在しない当時だけのものですので。
彼女は2つの仕事を行っていました。通常、衣装デザイナーというのは、俳優たちの衣装すべてを手がけることが仕事ですが、彼女はイヴ・サンローランのクリエーションを理解し、歴史的な視点をもって、財団とも仕事をしなければなりませんでした。
マデリーン・フォンテーヌは、フランスで一番といえる、映画の衣装デザイナーです。私は彼女を信頼していて、実は次回作もマデリーンが衣装を手掛けてくれているのですが、必ずパーフェクトな作品に仕上がると感じています。
作品は20年間でフランスがどのように変化していくかを表現する必要があり、それにおいてはセットデザイナーも重要な存在でした。50年代後半から映画がスタートしますが、当時はまるで18、19世紀のような雰囲気で、それから60年代はもっと自由に変わり、作品の後半である70年代後期はよりアグレッシブな時代になりました。そして映画はいろんなことが崩れていく80年代を予感させて、幕を閉じます。希望に満ち溢れていた60年代はゴールデンエイジでしたね。私はフランスにおけるこの変化を、あからさまにせずに映画で表現しました。
さらに、映画ではイヴ・サンローラン自身やブランドのスピリットを感じさせていると思います。クラシカルな中に、どこかロックンロールな要素を含んだ美しさです。私たちはこういったことを話し合い、それを実際に表現しました。私の仕事は、素晴らしいテクニックをもつ人を信じ、彼らに表現してもらうことでもあると思います。