そこから、2006年あたりの作品では「質感」というものがどのように発生するのか、ということに興味が移り、さらに2012年からは、描き方や絵の具でそれをどのように表現できるのか試行錯誤が始まります。
例えば、陶器の表面を描いた作品では、表面の光が当たっているツヤっとした部分とそれ以外の地の部分を分けて考えて描いています。“物”を見た時に光がどんな光り方をして、どこに反射しているのか、ということが気になったからです。
器を描いた作品は、光やツヤを表現するために、絵の具の物質感を強調。物質をリアルに表現するのとは異なり、質感やオーラが丁寧に描写されている。
光と物質を分けて描こうとした、ということですね。
はい。絵画なら光をイメージと物質に分解して見せることなど自由にできるので、例えば光の部分を取り出して、光の表現だけど絵の具の“物質感”を際立たせたり。
そうして、光に注目して見ていくうちに、モチーフの表面の微細な奥行きの光を反射する仕組みや、その光がモチーフの色彩に与える影響など捕らえられるようになっていきました。まさに”まなざしの解体”ですね。「見たい光はこれだったんだ」「この光があるから質感が魅力的に見える」といった光の微妙なバランスによる差異がわかるようになりました。
展覧会開催にあたり、東京都美術館で撮影された写真をもとに制作された絵画の数々は、空間に差し込む光や風景、壺や陶器の佇まいが連動した、繊細で幻想的な雰囲気。それまでの、「光」や「質感」へのクローズアップの仕方とは異なる作風が垣間見える。
その後、2016年から2019年にかけての作品を見るとまた異なる光の表現が見られます。
“まなざしの解体”の仕方がそれ以前とは変わっています。近年は、“物”のある空間の質に意識が向いています。空間には空気や光など、存在しているけれどそれだけでは認識できないものがあります。それを感じられるように、ある”物”を見ようとする時に、邪魔になるものを避けて見ようとする行為に着目しました。
と言いますと、どういうことでしょう……?
たとえば、お店のショーウィンドウを見る時に、光って中のものが見えないことがありますよね?そうすると無意識に光らない場所に移動して見ようとする。それって自然に見たくないものと見たいものを分けて認識しているということだよな、と気付いたのです。“まなざしの解体”と同じことですよね。
言われてみれば、まさにそうですね。
その、“何かを見ようとする行為”に基づいて、分解した“まなざし”を絵の上で再構築したのが、アクリルボックスを使った作品です。これらは東京都美術館の中で撮影した写真をもとに描いた作品でもあるのですが、モチーフとなっている壺には、透明なアクリルボックスをかぶせています。
そうすることで、壺を見ようとすると、アクリルボックスに光が反射したり、前後の像が写り込んだりする。アクリルボックスがあることで、その手前に前後左右の光や風景を中に閉じ込めるような感じになるのです。壺を見るには、光や写り込んだ風景を一度無視しないといけない。逆に、光の方が気になり始めると壺の存在はふっと消えていくような感覚になります。
たしかに……!面白いですね。
このような感じで、空間の質を確かめるとともに、色々な物の見方を試して楽しんでいます(笑)。
作品に用いられている壺や陶器などのモチーフはどのようにして選んでいるのですか。
私、モチーフそのものには思い入れが無いんですよ。だからあくまで見え方として、光の回り方や色を基準に選んでいます。