日本を代表する演出家・蜷川幸雄と女優・真山知子(現 キルト作家・蜷川宏子)のもとに誕生した蜷川実花。彼女がクリエーションの世界に足を踏み入れた時には、そんな著名すぎる親を持つがゆえに生まれる数々の苦悩もあったという。
今日では、写真家、映画監督、デザイナーと、様々なクリエーションの場でマルチな才能を発揮する蜷川。中でも映画監督としての活躍は著しく、2019年には『Diner ダイナー』『人間失格 太宰治と3人の女たち』の2作品の公開を控えている。本記事では、そんな蜷川の監督業を中心に、クリエイターとしての素顔にクローズアップ。デビュー当時から今日に至るまでの話を伺った。
蜷川さんは、写真家としてキャリアをスタートされています。クリエーションの道に進もうと決意したきっかけは何でしょう?
父が演出家、母が女優という環境だったので、幼い時から何か物を作る人にはなるだろうなと、何となく思っていました。だから、クリエーションの道を選んだことは、何か大きなきっかけがあったというより、自然な流れだったと感じています。
写真についていうと、夢中になったのは、高校1年生のときに一眼レフを手に入れたときから。その後、大学ではグラフィックデザイン科を専攻したのですが、その傍らでどっぷりと写真の面白さにはまってしまい、気が付いた時には写真家の道を選んでいました。
その後、写真家としてデビューを果たした蜷川は、木村伊兵衛写真賞ほか数々の賞を受賞。映像作品も手掛けるようになる。
写真家として活躍されていた最中、2007年には『さくらん』で映画監督としてもデビューされています。
30歳くらいの時、プロデューサーが突然やってきて「蜷川さん、映画に興味ないですか?」とオファーをいただいたのが始まりです。それまで自分で映画を撮るという選択肢を考えたことはなかったのですが、それはそれで面白そうかなと思いお受けしました。1年位どんな作品がいいかなと悩んでいたのですが、ふと思い浮かんだ作品が安野モヨコさんの『さくらん』でした。
2019年は、映画2作品を手掛けるなど、映画監督としての活動の場を広げています。写真家としての経験は、どのように生かされていると感じますか?
“自分の世界観を作る”という点においては、写真も映像も同じことなので、写真で培ってきたものを生かすことが出来ていると感じています。
それから、写真撮影での現場経験が非常に大きい。これまで圧倒的な量の写真を撮ってきているので、映画に参加されるキャストの多くは、スチール現場で一緒にお仕事をさせていただいたことがある方たちばかりなんです。
写真を撮るという行為は、ある種人の信頼関係が成立したうえで成り立っているので、その関係性が映画の現場でもそのまま生かされるというのは、監督業をこなすうえで、ものすごくプラスなことだと感じています。
こういったクリエーションの世界で仕事をされるうえで、お父様の存在をどのように感じられていましたか?
私は父と全くの別物だと考えていたので、“1人のクリエイターとして早く認められたい”と、デビュー当時から思い続けていました。だからこの世界に足を踏み入れた時は、しばらく父の存在を隠していたほどなんです。まあ、名前が珍しいからすぐにバレてしまうんですけどね(笑)。
それでも私は親が有名だからといって、コネに頼ることだけは嫌だったので、実際に誰一人として紹介してもらったことはありませんし、全部自力でコンテストの賞を勝ち取って、仕事をいただいていました。それでも世間とは酷なもので、何をやっても“親の七光りだ”なんて言われ続けた時期もあって。若い頃は苦い思いも沢山しましたね。
映画監督を始めてからも、お父様のお仕事を意識されなかった?
これまでは父の要素を引き継ぐこと自体に、一種のためらいを感じていました。けれどそれを初めて打ち破ることができたのが、今回7月に公開される『Diner ダイナー』。父が亡くなってから数年経った今、ようやく“父の培ってきた全てを自分が引き継げばいいのだ”と素直に感じることができました。