1899年、ヘンリーデイビッドリーがアメリカのカンザス州にH.D.Lee.マーカンスタイル・カンパニーを設立。後にジーンズの生産を始める。
リー(Lee)は、リーバイスと並び、アメリカを代表するジーンズブランド。元々、食料品を扱う卸商社としてスタートし、後に雑貨品や衣料も扱うようになった。ダンガリーズやオーバーオールなどといったワークウェアは取扱品目の一つであり、当初は既製品を仕入れていたが、自社製造するようになる。
様々なブランドとコラボレーションをおこなっており、ディッキーズやトーガ、ワコマリア、ディガウェル、フラボア、メルシーボークー,などとタッグを組んでいる。
1911年にオリジナルのワークウェアの生産・販売を開始。オリジナル製品の生産・販売に至った理由は、取引先の生産者の入荷が度々遅れることがあったからである。
1913年には「ユニオン・オール」を生産。これはいわゆる“つなぎ”のことで、機能性が良かったことから、第一次世界大戦でアメリカ陸軍のオフィシャルユニフォームとなる。
リーは新聞広告などの全国的な広告展開をすることによって、西海岸以外でのワークウェア市場でリーバイスを含めた他のメーカーを圧倒する。
1920年、リーのワークウェアを着たマスコット、「バディ・リー」人形を発売。爆発的に売れる。この人形は販売促進のコマーシャルのために作られたものだった。
1924年、「101カウボーイパンツ」を発売。カウボーイウェアの生産を開始する。
1925年、コーンミルズ社製の新素材、「ジェルトデニム」を採用する。この「ジェルトデニム」は従来のデニムよりも強度が高く耐久性があり、労働者の人気を得る。
1926年、世界で初めてジッパーフライのジーンズを生産。
1931年、「101J(101スリムジャケット)」を発売。前からデニム製のカウボーイジャケットはあったが(リーバイスのデニムジャケットにそっくりな作りのものもあった)、この時のモデルはタイトで丈が短いシルエットでオリジナルといえるデザインだった。後年リーバイスの「557XX」はこれを模したデザインである。
1933年、「101J」にインナーがついた冬用の「ストームライダージャケット」を発売。襟がコーデュロイでウールのライニングのついた「ストームライダースジャケット」は、後にマリリン・モンローが朝鮮戦争慰問の時に着たことでも有名。
1944年、「101カウボーイパンツ」が「リー・ライダース」に改名される。この頃には、タイトフィットするブーツカットのシルエットに変化している。バックルバックが廃止され、バックポケットのステッチは現在と同じ「レイジーS」と呼ばれるものになる。
1946年、エロッサー・ハイネマン社を買収。同社はフリスコジーンズなどで知られる「キャントバステム」や、「ボス・オブ・ザ・ロード」などのブランドを持っていた有力ワークウェアメーカーだった(それらのブランドは買収後もリーから引き続き生産される)。
1950年代、ワークウェアとしての機能性だけでなく、ファッションとして注目を集めるようになる。「101」という愛称で親しまれたジーンズは、俳優・ジェームス・ディーンが公私ともに愛用したこともあり一躍有名になった。
1952年、耐久性に優れたデニム生地「チェットパツイル」を開発。
1959年、白いコットンサテン地の「リー・ウエスターナー」発売。ホワイトジーンズの走りであり、アイビーブームの火付け役となる。
1963年、リー・ヨーロッパを設立。
1976年、日本に本格上陸。
1977年、アメリカのテレビドラマ「チャーリーズエンジェルス」で主演を務めたモデル・シェリーハックをフィーチャーしたキャンペーンを実施。“レインボージーンズ”と呼ばれる刺しゅう入りデニムを着用し、大流行する。
1998年、リーの歴史的名品を復刻したスーパーリアル・ヴィンテージを発表。
2010年、ヴィヴィアン・ウエストウッド アングロマニアと初コラボレーション。ヴィヴィアン・ウエストウッド の過去のアーカイブを着想源に再解釈したウィメンズ&メンズデニムを展開。
2014年、Lee創立125周年記念エキシビション「Lee 125years Celebrity Archive Exhibition AISA TOUR (TOKYO STATION)」を原宿で開催。
2022年、新シリーズ「X-LINE」をスタート。「エクストリーム(Extreme)」「エクストラ(Extra)」「エクスクルーシブ(Exclusive)」をテーマにしたアイテムを展開する。第1弾は、Leeを代表するペインターパンツをユニセックスサイズで展開。