展覧会「日本の洋装化と文化学園のあゆみ」が、東京の文化学園服飾博物館にて、2023年9月16日(土)から11月13日(月)まで開催される。
「日本の洋装化と文化学園のあゆみ」展は、日本における洋装の普及を、主に明治時代から戦後期にかけてたどってゆく展覧会だ。あわせて、日本初の洋裁教育の各種学校として認可され、日本の洋装化において大きな役割を果たしてきた文化学園の歩みにも光をあてる。
江戸時代末期にペリー率いるアメリカ艦隊の来航によって開国を迫られた日本は、欧米諸国に比肩するべく、西洋の技術を取り入れ、軍備の近代化を進めることになった。軍装においても、従来の日本の衣服をもとに西洋服を模倣し、あるいは西洋風に作り変えることが試みられている。第1章では、この時代に短期間で考案された、和洋混在の軍装を紹介する。
明治時代に入ると、政府は国家の近代化を国内外に示す手段のひとつとして、洋装化を推進するようになった。こうしたなかで洋服は、政府高官や役人、軍人、警察、郵便配達夫など、近代化に伴う新しい制度にまつわる公的な職業服に採用されている。また、外交官夫人や海外留学に派遣された若年の女性に始まり、女性にも洋装が広まっていった。第2章では、日本の近代化をアピールする役割を担った、明治時代の洋装にふれることができる。
日本人の生活様式の変化が進んだ大正時代には、都会で働く男性の外出着の多くが洋装となるばかりでなく、都会の女性や女学生のあいだでも洋装が普及していった。その要因のひとつに、当時の欧米で流行していたドレスのシルエットがウエストを絞らない筒型であったことが、機能面においても受け入れられやすかった点を挙げることができるだろう。第3章では、人びとのモダンライフとともに進んだ洋装化に着目し、当時のドレスなどを展示する。
昭和12年に日中戦争が勃発すると、日本は国際社会からの孤立を深めた。さらに、戦況の悪化にともない輸入が滞ると、羊毛や綿花といった衣料資源の不足が深刻化することになる。こうしたなか、古着を仕立て直した更生服などが用いられるようになった。また、物資を節約する意図のもと、男性には軍服に酷似した「国民服」が制定され、女性には着物に比べて布地が節約でき、なおかつ活動的な「婦人標準服」が推奨されている。第4章では、戦時中、節約生活のなかで強いられることになった洋装について紹介する。
昭和20年の終戦後も、物資不足はなおも続いた。しかし、洋装ブームの到来とともに国内では洋裁学校が次々に開校し、日本の衣生活は大きく変化することになる。昭和30年代には、欧米を手本としたファッションが映画を通して大衆に浸透する一方、昭和40年代には若者を中心にミニスカートなどが広がり、洋服は個性の表現となった。第5章では、戦後日本のファッションの展開に着目し、髙田賢三による「装苑賞」受賞作品や、コシノジュンコが手がけたコートなどを展示する。
文化学園創立100周年記念「日本の洋装化と文化学園のあゆみ」
会期:2023年9月16日(土)〜11月13日(月)
会場:文化学園服飾博物館
住所:東京都渋谷区代々木3-22-7 新宿文化クイントビル 1F
開館時間:10:00〜16:30(10月13日(金)・27日(金)は19:00まで開館)
※入館はいずれも閉館30分前まで
休館日:日曜日、祝日(11月3日(金・祝)は開館)、11月6日(月)・7日(火)
入館料:一般 500円、高校・大学生 300円、小・中学生 200円
※障がい者および付添者1名は無料
【問い合わせ先】
文化学園服飾博物館
TEL:03-3299-2387