企画展「中平卓馬 火─氾濫」が、東京国立近代美術館にて、2024年2月6日(火)から4月7日(日)まで開催される。
中平卓馬(なかひら たくま)は、戦後日本を代表する写真家のひとりだ。1960年代末より、既存の写真の価値観を逸脱する「アレ・ブレ・ボケ」の写真で注目を集めていった中平は、73年の評論集『なぜ、植物図鑑か』でそれまでの自らの仕事を批判して方向転換。77年、急性アルコール中毒による昏倒、記憶喪失で活動を中断をするも、療養後に写真家として再起している。
企画展「中平卓馬 火─氾濫」は、2015年にこの世を去った中平の仕事をたどる、没後初の本格的な回顧展。初期から晩年にいたる約400点の作品や資料を、全5章で紹介する。とりわけ、1975年頃より試みられ、77年に病で中断を余儀なくされることになった模索の時期の仕事に光をあてるとともに、再起後の仕事の位置付けについても再考してゆく。
1938年に生まれ、雑誌編集者として働いていた中平は、誌面の企画を通じて写真に関心を抱き、64年に初めて写真を発表。写真家、批評家として活動を始めている。68年には季刊同人誌『PROVOKE』を創刊し、「アレ・ブレ・ボケ」と称される写真が注目を集めた。荒く、ピントがぼけて不鮮明な画面を特徴とするその作品は、均整のとれた従来の写真表現とは対立するものであった。第1章では、《夜》などの作品とともに、中平の初期の活動を紹介する。
1970年代初頭の中平は、「都市」や「風景」という表題のもと、数多くの作品を発表している。そこには、日常を取り巻く「風景」が、政治や経済の力学に支配された制度として現れているという、当時の「風景論」の問題意識があった。第2章では、こうしたなか、1971年に発表された《サーキュレーション─日付、場所、行為》を紹介。同作は、その日目にした現実を無数の写真に移し替え、それらをすぐさま展示空間という現実に送り返すことで、同時代の「風景」の裏に潜む制度に抗おうとする試みであった。
1973年に刊行された評論集『なぜ、植物図鑑か』において、中平は一転してそれまでの自身の仕事を批判。モノクロの「アレ・ブレ・ボケ」写真から離れ、世界をありのままに写す「植物図鑑」のような方法を模索した。これは、74年、東京国立近代美術館での「15 人の写真家」展に出品された大作《氾濫》へと結実することになる。第3章では、カラー写真48点から構成される同作を展示し、「植物図鑑」と「氾濫」の展開を再考する。
1972年、沖縄を初めて訪れた中平は、復帰直後の沖縄を撮影するなど、南方の島々への関心を深めている。また、76年にフランス・マルセイユのギャラリーでコンセプチュアルな作品《デカラージュ》を発表することなどを通じて、中平の活動には「街路」というキーワードが現れつつあった。しかし、77年の昏倒と記憶喪失により、こうした新たな展開は中断することになる。第4章では、76年以降展示されることのなかった《デカラージュ》や、初公開となる《街路あるいはテロルの痕跡》の77年のヴィンテージ・プリントなどとともに、病により中断された模索の様相に光をあてる。
1977年の昏倒により記憶喪失に陥った中平は、療養ののち、写真家として再起。以後、約30年間にわたって活動を続けた。そうしたなかで中平の表現は、モノクロプリントを作り続けた時期を経て、カラーフィルムを使用し、タテ構図で世界の断片を切り取るという方法へと向かっていった。第5章では、キャリア前半とは異なる存在感を獲得していった再起後の活動を紹介。中平の存命中最後の重要な個展「キリカエ」に展示された、カラーの大判プリント64点などを目にすることができる。
企画展「中平卓馬 火─氾濫」
会期:2024年2月6日(火)〜4月7日(日)
会場:東京国立近代美術館 1F 企画展ギャラリー
住所:東京都千代田区北の丸公園3-1
開館時間:10:00〜17:00(金・土曜日は20:00まで)
※入館は閉館30分前まで
休館日:月曜日(2月12日(月・祝)、3月25日(月)は開館)、2月13日(火)
観覧料:一般 1,500円、大学生 1,000円
※高校生以下・18歳未満、障害者手帳の所持者および付添者(1名)は無料
※本展の観覧料で入館当日にかぎり、同時開催の所蔵作品展「MOMATコレクション」、コレクションによる小企画「新収蔵&特別公開|ジェルメール・リシエ《蟻》」も観覧可
【問い合わせ先】
TEL:050-5541-8600(ハローダイヤル)