エルメス(HERMÈS)財団が東京・銀座に展開する銀座メゾンエルメス フォーラムでは、展覧会「スペクトラム スペクトラム(Spektrum Spektrum)」を、2025年3月20日(木・祝)から6月29日(日)まで開催する。
「スペクトラム(spektrum)」とは、「スペクトル(spectrum)」を意味するドイツ語の単語だ。この「スペクトル」という言葉は、光や音など、物理的現象における分布を指すとともに、亡霊や幻視といった超自然的な存在、そして比喩的に扇子を意味するというように、さまざまな意味の広がりを持っている。
展覧会「スペクトラム スペクトラム」は、「スペクトラム」という言葉が含みもつ意味の広がりを回転扉に、さまざまな美術家を紹介するグループ展。ドイツ・ベルリンを拠点とするエマニュエル・カステランをはじめ、津田道子やヨハネス・ナーゲルといった現代美術家に、マリー・ローランサンを加えた7人の美術家による作品を織り交ぜ、真実と虚構の「あいだ」に留まることのできる場を編みだすことを試みてゆく。
本展は、エルメスのふたつのギャラリー、東京の銀座メゾンエルメス フォーラムと、ベルギー・ブリュッセルにある「ラ・ヴェリエール(La Verrière)」の協働による展覧会。ブリュッセルの「ラ・ヴェリエール」では、2024年、エマニュエル・カステランの展覧会として「スペクトラム」を開催した。銀座で開催される展覧会「スペクトラム スペクトラム」は、ブリュッセルの同展から展開したグループ展となる。
ブリュッセルの「スペクトラム」展でも焦点を合わせたエマニュエル・カステランは、フランス・オリヤックに生まれ、2011年からはベルリンを拠点に活動してきた美術家だ。筆致や切り込みを幾層にも重ねた絵画を手がけるほか、額縁にとらわれずに壁にも直接描くなど、空間と有機的に溶けあう展示空間を作りだしてきた。
本展で展示されるカステランの作品は、たとえば矩形のカンヴァスに描いた絵画であっても、額縁を施されていない。もし額縁を施せば、美術館で厳かな雰囲気を放つタブローのように、作品として確かな佇まいを示すだろうものの、ここではむしろ、作品と展示する空間とが心地よく行き交うかのようだ。また、巨大なファブリックに油彩を施した作品は、その大きさゆえに空間を彩るタペストリーを彷彿とさせる。
つまりカステランの作品展示は、自律的な「作品」と付属的な「装飾」という明確な区別を曖昧化し、それらの「あいだ」に広がる可能性の豊かなグラデーション、つまり一種のスペクトルに目を向けているといえる。これは、本展で唯一近代に属する美術家、マリー・ローランサンによるパステルカラーの肖像画や静物画が、作品でありつつ装飾のように室内に飾られたことにも通底するだろう。そのうえ、鮮やかな色彩が広がるカステランのファブリック作品は、異なる作家による異なるジャンルの作品、つまり写真や陶芸が重なり、あるいは隣接するというように、複数の作品が立ち上がる場を織りなしているのだ。
最初にふれたように、「スペクトル」という言葉は、亡霊や幻視など、いわば〈いま・ここ〉には「不在」の存在も意味した。本展で、このように〈いま・ここ〉には存在しないものの、作品を通してその存在を感じさせる例のひとつが、陶芸家・川端健太郎による作品だろう。彩り豊かな釉薬が滴る有機的なその造形は、貝殻か花弁か、どこか生き物の要素を彷彿とさせ、陶芸という物でありながらも不思議な生命感が宿っているように感じられる。また、同じく陶芸家のヨハネス・ナーゲルによる作品においても、鮮やかな発色や濃密な肌理といった物質性から、それを生みだした身体の存在を垣間見られよう。
また、写真家・題府基之による一連の《Untitled (Pee)》も、ここに引き付けることができる。題府は、自身の実家や路上など、身の回りの瞬間を捉えることで、日常の光景に潜む非日常性に光をあててきた。《Untitled (Pee)》は、路上での犬のマーキングの跡に似せて、水をかけた様子を捉えた作品であり、あたかも亡霊の姿を彷彿とさせる水の「跡」を通して、ありえたかもしれない犬の存在が喚起されると言うこともできるだろう。
「スペクトル」はまた、比喩的に扇子をも意味している。扇子とは、そよそよと扇いで涼をとるために使うものである一方、何かと何かを「遮る」ものでもありうる。たとえば、畳んだ扇を膝前に置くことで、自他のあいだの結界として作用した。あるいは、開いて口元を隠すことにも使えたであろう。その意味で「スペクトル」とは、すぐれてあるものとほかのものの「あいだ」に踏みとどまる場であるといえる。
ヴァルター・スウェネンの絵画は、「踏みとどまる」ものとしての作品の例だ。ブリュッセルに生まれ、同地で活動を続けるスウェネンは、哲学と心理学を学んだのち、詩人、そして画家としての活動を始めた。色彩のニュアンスに富むその画面の中には、しばしば文字が見られる。とはいえそれを、純粋なテクストとして読むのではない。テクストの手前、絵画に「踏みとどま」り、文字をあくまで絵画内のモチーフとして取り扱っているのだ。
絵画や陶芸、写真など、さまざまな作品が展示される会場内に、ある種ネットワークのように張り巡らされるのが、津田道子による映像インスタレーションだ。フレーム、鏡、カメラを駆使することで、津田は会場の空間と時間をもつれさせる。ある場所に足を踏み入れれば、その姿はカメラに捉えられ、しばし時間の遅延を伴って、別の場所のスクリーンに映される。ある場所を通り過ぎたばかりの自分の姿を、普通ならば予期せぬ場所とタイミングで目にすることになるのだ。
2フロアにわたる会場は、津田のカメラとスクリーンを通して、下のフロアの様子が上のフロアに映しだされるというように、不思議に結びつく。そのうえ、フレームや鏡が随所に設置されることで、空間は克明に見通すことのできない場となる。そこでは、現実がいわば映像に虚構化され、その虚構を通して自らの現実を認識することになる。会場では、現実と虚構の「あわい」に留まるかのような体験をできるだろう。
【展覧会概要】
展覧会「スペクトラム スペクトラム」
会期:2025年3月20日(木・祝)~6月29日(日)
会場:銀座メゾンエルメス フォーラム 8・9F
住所:東京都中央区銀座5-4-1
開館時間:11:00~19:00(入場は18:30まで)
休館日:水曜日
入場料:無料
■出展作家
エマニュエル・カステラン、題府基之、川端健太郎、マリー・ローランサン、ヨハネス・ナーゲル、ヴァルター・スウェネン、津田道子
【問い合わせ先】
銀座メゾンエルメス フォーラム
TEL:03-3569-3300