企画展「ファッション イン ジャパン 1945-2020─流行と社会」が、島根県立石見美術館にて、2021年3月20日(土・祝)から5月16日(日)まで開催され、その後東京の国立新美術館に巡回する。なお、島根会場では、特別展示「コズミックワンダーと工藝ぱんくす舎 ノノ かみと布の原郷」も同時開催される。
独自の展開を広げる日本のファッションは、1970年代以降、世界の注目をも集めてきた。企画展「ファッション イン ジャパン 1945-2020─流行と社会」は、衣服だけでなく、写真や雑誌、映像といった豊富な資料から、“もんぺからサステナブル、さらにその先”の未来まで、戦後日本のファッションの展開をたどる展覧会だ。
本展は、首都東京と地方の美術館のタッグによる稀な展覧会であると同時に、「ファッション」をテーマの1つとして収集を続けてきた石見美術館にとって、その活動の集大成となる。これまで同館で開催してきたファッションの展覧会での調査や、それらの活動を通じて作品所蔵者とともに培ってきた関係を活かすことで、戦後日本のファッションの展開を概観できる充実した展示を展開する。
戦後以降の日本のファッション=流行を、3つの軸から考察する「ファッション イン ジャパン 1945-2020─流行と社会」。衣服やアイディアを生みだすデザイナー、衣服をまとい、時として流行の源ともなる消費者に加えて、それら両者を結びつけるメディアの視点も射程に入れ、戦後の各時代におけるファッションと社会の関わりをひもとく。
明治期以降、近代化を推進した日本では、社会や文化の大きな変容を遂げた。衣生活も例外ではない。洋装を取り入れ、洋服・和服を公私に応じて使い分けていた時代を経て、もんぺや公式の国民服が普及した第二次世界大戦期ののち、洋服が日常着として定着するようになった。
戦後に洋服が普及する背景にあったのが“洋裁”だ。限られた物資を衣服に作りかえるため、戦中から洋裁学校のニーズは高まっていたが、戦後には入学者が殺到。洋裁を学んだ女性たちが、衣服の製作法を掲載した雑誌やスタイルブックを参照して自ら洋服を作り、日本全国に洋服が浸透することとなったのだ。
加えて、1950年代には映画が黄金期を迎え、「太陽族」ファッションなどの流行を生む契機ともなった。会場では、中原淳一によるスカートや、映画『狂った果実』の衣裳・森英恵によるアロハシャツなどから、戦後における洋服の広まりを紹介する。
1960年代には消費が拡大するとともに、上質な既製服の生産が可能となり、洋服は徐々に購入するものへと変化した。70年代に入ると、海外のコレクションに参加する気鋭の日本人デザイナーが登場。また、原宿は“若者の街”へと変貌し、雑誌『アンアン』などの創刊もファッションの関心を後押しした。そして日本の経済成長が頂点を極めた80年代は、しばし「感性の時代」と謳われるように、デザイナーの個性を打ち出した「DCブランド」が最盛期を迎えることとなる。
会場では、島根会場のみの展示となる森英恵によるイヴニングドレス、山本寛斎が手掛けた衣装に身を包むデヴィッド・ボウイの写真など、個性豊かな日本人デザイナーによる装いを紹介。また、80年代の“変形学生服”短ランやボンタンは、画一的な制服を自らの個性に合わせてアレンジした装いと見ることもできるだろう。