1889年、アメリカミシガン州デトロイトでブランド「カーハート」スタート。
カーハート(CARHARTT)は、アメリカのワークウェアブランド。ストリートウェアの代表的ブランドとしての地位も確立している。
カーハートの部門の1つとして、ヨーロッパでスタートしたカジュアル・ウェア・ラインとして「カーハート ダブリューアイピー(Carhartt WIP)」がある。WPIとはワーク・イン・プログレス(Work in Progress)の略。デザインやシルエットをより現代的にアレンジした、カーハート WIPは歴史と伝統あるワーク・ウェアをルーツとし、クラブミュージック、アート、スケートボードなど、様々なサブカルチャーを積極的にサポートしながら、アーバン・ライフスタイルにフィットする革新的ブランドとして世界中で親しまれている。
1855年8月27日、ブランド創設者であるハミルトン・カーハート(Hamilton Carhartt)は、医師であった父・ジョージと母・レファ ジェーンの子として、ニューヨークのウェスト・ウォルワースで誕生。
1882年、ハミルトン・カーハート(当時27歳)は、最初のビジネスとなる衣料品の卸売業を始める。
そして2年後の1884年、米国ミシガン州デトロイトに家具や手袋の卸業会社「ハミルトン・カーハート&カンパニー(Hamilton Carhartt and Co.)」を設立した。
1830年代からデトロイトは輸送、造船、製造業が年々成長を遂げていた。そんな中、ハミルトン・カーハートはデトロイトの労働者に向けたワークウェアを製造することを決意する。
1889年になると、社名を「ハミルトン・カーハート・マニュファクチュア」とし、わずか4台のミシンとたった5人の従業員でワークウェアの生産を始める。最初のプロダクトは、丈夫なダック地とデニムで作られたオーバーオール。こうして今日まで続く「カーハート(Carhartt)」ブランドは誕生した。しかし、当時労働者の数が増加していたデトロイトとサザン・ミシガンで、カーハートは、船の帆やテントにも使われていた丈夫な素材を用い、擦れや破れにも強く、労働者にとっては頼れる製品のはずだが、カーハートのビジネスはなかなか軌道に乗らなかった。
そこでハミルトン・カーハートは徹底的に製品づくりを見直し、当時ミシガン州の労働人口の多くを占めていた鉄道員たちのニーズに応える仕立ての良い製品を生み出すため、鉄道技師に製品改良のためのアドバイスを求めた。そして、生地はデニムまたは12オンスのコットンキャンバスを用いることで、優れた耐久性(トリプルステッチ、銅のリベット、ボタンホールの強化)と、極上の着心地(ワイドレッグス、サスペンダー、特許を取得したビブ・デザイン)を併せ持ち、機能性の面では定規やペンチといった工具用ポケットや、ハンマーループを備えたオーバーオールを完成させた。このカーハートのオーバーオールはアメリカンワークウェアのアイコンとなっていった。
その後産業の成長とともに、カーハートも製品の品質を向上させ、新たなマーケティング戦略を駆使しながら着実に成長を遂げた。1910年には8つの縫製工場と2つの紡績工場を抱えるまで事業を拡大するようになり、社名も「ハミルトン・カーハート・コットンミルズ(Hamilton Carhartt Cotton Mills)」へと変更。
この頃のカーハートは当時"カー"と呼ばれていた路面電車と、ミシガン州を含むアメリカ合衆国中西部"ハートランド"をブランドの名に掛けて、通称「ハートマーク」と呼ばれるロゴを使用していた。
1923年にはブランドの象徴的なアイテムであるブラウンのダック地を使用したカバーオールを発表し、今日までほぼ形を変えず展開している。1925年には、オーバーオール、シャツ、パンツ、シューズ、ハンティングウェアなど、様々なワークウェアを製造するようになる。
1920年代から1930年代にかけてカーハートも綿花恐慌と経済恐慌のあおりを受けることになり、一時的に業務縮小を余儀なくされた。
1937年、創設者のハミルトン・カーハートは妻とともに交通事故により他界(享年82歳)。
1940年代に入ると第二次世界大戦の影響による物資統制が実施され、カーハートの製品にもリベットを用いないアイテムや、ロゴ刻印のない月桂樹柄ボタンを使用したアイテムなどが販売された。
全米自動車組合が組織されていた1935年から1960年頃まで、ワークウェアのタグには「ユニオン・メイド(UNION MADE)」という言葉が記されていた。"ユニオン"とは労働組合を意味し、当時のアメリカで労働組合は大きな影響力を持っており、自動車産業に限らずどんな組合も組合を否定するような企業が作る製品は購入しないようにと組合員に指令を出していた。ワーカーたちは自分たちと同じ立場の人間が作った製品を求め、商品に縫いつけられた「ユニオン・メイド」のタグがそれを見分ける方法となったのである。当時カーハートは製品を購入した人々に、無料でカレンダー付きの手帳を配布していた。手帳の扉には〈アメリカの労働者諸兄へ〉という呼びかけが記されており、自分たちより上の世代の人々が、様々な困難を乗り越えて獲得してきた労働者の団結を讃え、さらにカーハート社は常にワーカーたちとともに歩んできた会社だと綴られていた。
1966年、現在世界中で広く認識されている、通称「Cロゴ」をブランド・ロゴとして発表。このお馴染みのロゴは、豊かさを表すシンボルである「コーヌコピア(豊穣の角)」と呼ばれる、ギリシャ神話に登場するゼウスに乳を与えたヤギの角がモチーフとなっている。
1971年にはジーンズの製造にも乗り出し、初の子会社「カーハート サウス(Carhartt South)」社を設立。1970年代は時代の流れを読み、プロダクツ・コンセプトである〈耐久性、品質、フィット感、着心地の良さ〉を維持しながら、ワーカーだけでなくより多くの人たちが着用できるカジュアル・テイストのアイテムの販売を開始。
1989年はブランド設立100周年の大きな節目。この年に製造されたアイテムのタグやボタンには、「100 YEARS 1889-1989」の文字が施され、100周年の記念として白頭鷲をモチーフにしたスペシャルワッペンも製作された。また、1989年にヨーロッパにて「カーハート ダブリューアイピー(Carhartt WIP)」を設立。カーハートは更なる進化を遂げ、ファッション・ブランドとしても世界にその名が知られていくようになる。
カーハートはアメリカ本国では時代を問わず労働者にとって欠かすことのできないワークウェアであるが、90年代に入るとタフでリーズナブルなカーハートのプロダクツは数多くのヒップホップアーティストに受け入れられ、ストリートウェアの代表的ブランドとしての地位も確立。同時にヨーロッパや日本でもカジュアル・ウェアとして高い人気を集めていく。
2009年4月には東京・原宿にフラッグシップショップをオープン。
老舗ワークウェアブランドだが、多くのファッションブランドとのコラボレーションを行っている。ステューシー、マスターマインド、ニューバランス、SOPHNET.、A.P.C.といった人気ブランドと多数のコラボレーションアイテムを展開してきた。日本ではエドウィンが製品の生産を手掛けていたが、2009年からはカーハート ワーク・イン・プログレスが展開している。