1920年代のパリは、第一次世界大戦の惨禍から立ち直るかのように、多様なジャンルの文化が活発に交流しつつ花開いた場であった。そこで活躍した女性を代表するのが、画家マリー・ローランサンとファッションデザイナーのガブリエル・シャネルだ。ローランサンとシャネルをはじめとする当時の芸術家の作品を紹介しつつ、20年代パリの文化をひもとく展覧会「マリー・ローランサンとモード」が、東京・渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムにて、2023年4月9日(日)まで開催される。
1883年パリに生まれたマリー・ローランサンは、初期にはキュビスムの影響を強く受けた作品を手がけていたものの、やがてパステル調の淡い色調と優美なフォルムで描かれる作風へと変化。社交界の中心人物であったグールゴー男爵夫人の肖像画が注目を集めたことを契機に、1920年代パリの上流階級の婦人のあいだでは、ローランサンに肖像画を依頼することが流行した。
一方、ローランサンと同じく1883年に生まれたガブリエル・シャネルは、帽子デザイナーとしてそのキャリアをスタート。第一次世界大戦後に女性の社会進出が進むなか、装飾を抑え、シンプルで動きやすい衣服を手がけるなど、当時の女性のライフスタイルにマッチするスタイルを提案した。そのドレスなどを見れば、ストレートなラインの抑制されたデザインに、コルセットやクリノリンを用いた前世紀のドレスの曲線性・装飾性とは著しい対比を見てとることができる。
「レザネ・フォル(狂騒の時代)」と呼ばれる1920年代のパリに、新しい文化を牽引するシャネルといった人物が登場した背景のひとつには、第一次世界大戦の戦禍の経験があった。1914年、サラエヴォでの皇太子暗殺に端を発し、オーストリアとセルビアの衝突から始まったこの戦争は、ドイツとロシア、フランス、さらにはイギリスを巻き込んでいった。
ヨーロッパの主要国が参戦したこの大戦では、技術革新を背景に戦車や化学兵器が導入されるとともに、塹壕戦と戦線の膠着によって戦闘が長期化。兵士ばかりでなく、銃後を守る人びとにも大きな犠牲を強いた「総力戦」は、ヨーロッパ社会を根底から揺るがし、古い秩序や価値観から解放された近代の意識を根付かせてゆくことになったのだ。
装飾を抑え、スカートはすっきりとしたひざ下丈、ウエストをマークしない直線的なシルエットを描くシャネルの衣服は、旧来の伝統にとらわれない、新しい時代感覚を反映したものだといえる。とはいえ、こうしたシルエットがシャネルだけによるものというわけではない。
たとえば「改良服」。19世紀後半の女性服においては、コルセットやクリノリンなどを用い、自然な身体から離れた曲線的なシルエットに仕上げたドレスが流行していた。しかし、コルセットがもたらす健康上の問題が指摘されると、医学者や女性解放論者が中心となってコルセットからの解放を訴え、緩やかなラインを描く改良服が提案されたのだ。しかし、曲線的・装飾的ドレスが好まれた当時、華やかさに欠けた改良服が人気を集めることはなかった。のちにグスタフ・クリムトやヨーゼフ・ホフマンといったウィーンの芸術家は、簡潔なフォルムを踏襲しつつも平面的な装飾模様を施すことで、改良服に美的な側面を付与することを試みている。
20世紀初頭にはポール・ポワレが、コルセットを用いないハイウエストのドレスを提案。オリエンタリズム(東洋趣味)を背景に、鮮やかな色彩やエキゾチックな模様のテキスタイルを採用し、古代ギリシアを彷彿とさせるフォルムのドレスを手がけた。その衣服の様子は、ジョルジュ・ルパップやポール・イリーブなどの版画からも見てとることができる。簡潔で抑制されたシャネルのデザインは、東洋的な色彩や模様を抑える点でポワレと異なるものの、身体の自然なシルエットを基にするこの流れにあるものだといえる。
しかし、モードは移ろう。1930年代には、世界恐慌やファシズムの躍進を背景に社会的な不安が広まり、第一次世界大戦前の平和と繁栄を夢見るようになる。衣服はこうした懐古的な意識を反映する。スカート丈は長く、ウエストをマークし、柔らかな曲線を描く「女性的」なドレスが現れるようになったのだ。とはいえそれらは、前世紀の重厚な装飾性を再現するのではなく、バイアスカットによって流麗なシルエットを作りだしたマドレーヌ・ヴィオネなどに見るように、新しいデザインが注目されている。
ローランサンの作品も、各時代の社会の雰囲気や美術潮流を映しだしつつ変化していった。その最盛期、1920年代に手がけられた肖像画は、淡い色彩から構成されており、灰色の背景からはぼんやりと人物が浮かびあがる。《ニコル・グルーと二人の娘、ブノワットとマリオン》や《ピンクのコートを着たグールゴー男爵夫人の肖像》、《わたしの自画像》などは、その代表的な例だといえる。
一方、これに先立つ1910年代初頭、ローランサンは同時代のパリで活躍していたジョルジュ・ブラックやパブロ・ピカソなどの影響のもと、キュビスム的な手法を取り入れた作品を手がけている。その代表作のひとつが、1913年のアンデパンダン展に出品された《優雅な舞踏会あるいは田舎での舞踊》。女性たちが踊る優雅な世界を主題としつつ、明確な黒い線による輪郭や対象の平面的な処理など、キュビスムを彷彿とさせる要素を見てとることができる。
そして1930年代、世界恐慌はフランスにも及び、「レザネ・フォル」の熱狂は去ってゆくことに。ローランサンの人気にも陰りが見え始め、その作風にも変化が現れる。淡いトーンを基調としたピンクや青は、次第に明るく、鮮やかな色彩に取って代わられる。それまでの物憂げな人物は、より確かな肉付けを施され、存在感を示すようになる。《シャルリー・デルマス夫人》などに見られるこうした作風は、旧来の「女性らしさ」へと回帰したファッションの動きともパラレルなものであった。