1951年、森英恵が新宿に「ひよしや」設立。1954年、自身の名を冠したブティック「ハナエモリ」をスタート。
ハナエモリ(HANAE MORI)は、日本のファッションブランド。
ブランドのベースにある永遠のテーマ『エレガンス』をベースに、シルエット、ディテール、グラフィックで表現。ブランドアイデンティティーである、「蝶」をアイコンに用いながら、あらゆるシーンで活躍する女性にフォーカスした洋服を提案。
創業者の森英恵は1926年島根県生まれ。東京女子大学卒業。48年に森賢と結婚し、その後ドレメ(ドレスメーカー女学院)でファッションを学ぶ。51年、新宿にスタジオ「ひよしや」を設立。その後は50年代の日本映画全盛期の時代に数百本に及ぶ映画の衣装を手がける。
63年、日本にプレタポルテ部門「ヴィヴィド」社を創業。当時ファッションを牽引していた映画のファッション(シネモード)への影響もあり、大衆ファッションへの関心が高まった50年代後半から60年代にかけて、まだ未開分野だったプレタ・ポルテを確立させた。
65年にニューヨークで初の海外コレクションを発表。森英恵のデザインはニーマン・カーマスなどの高級百貨店で成功。70年には「ハナエモリ・ニューヨーク」をオープンした。森英恵のデザインと夫の森賢の経営手腕もありハナエモリのグループは成長を続けた。
74年にロンドンで販売がスタート、その後ハナエモリの服はスイス、ドイツ、ベルギーでも販売された。76年「ハナエモリ・インターナショナル」設立。
77年、パリのモンテーニュ通りにオートクチュールのメゾンをオープン。同年にはオートクチュールコレクションをスタートさせた。同時に、パリ・オートクチュール組合に加盟を果たし、以後、東洋人では、唯一のオートクチュール組合のメンバーとして活躍。顧客にはグレース・ケリー(モナコ王妃)、ソフィア・ローレンなどが名を連ねた。
国内でもオリンピック日本選手団や日本航空の制服を手がけるなど、日本の代表的なデザイナーとして確立した。
88年、朝日賞、紫綬褒章、89年、レジヨン・ドヌール勲章を受章。同じ89年「森英恵展」を開催し、35年以上にわたるデザイン活動を記念した。93年、皇太子妃雅子様のウエディングドレスをデザイン。
90年代に入り、多角経営に乗り出し失敗。2001年末、プレタポルテを含むライセンス事業を、三井物産などに売却すると発表。「ハナエモリ」としては、オートクチュール部門で生き残る再建策を発表したものの、債権者の了承を得られなかった。
2002年、プレタポルテ部門を三井物産とロスチャイルドグループへ売却。プレタポルテ事業に関しては、三井物産が100%株を保有する形で現在に至るまで存続している。
同じく2002年、オートクチュール部門の「ハナエモリ」が、民事再生法の適用を東京地裁へ申請し、倒産。負債総額は約100億円あったと言われている。その後、社長に石坂公之助を迎え、森英恵自身は、新会社「ハナエモリ」でオートクチュール事業を継続。
森英恵は2004年秋冬オートクチュールコレクションを最後に引退。そのコレクションには多数の有名人が駆けつけ、最後はスタンディングオベーションで迎えられた。作品は、歌舞伎役者の描かれたロングドレス、日本風の花がプリントされたスカート、かんざしを使用するなど日本を意識した内容であった。
著書に「あしたのデザイン」「ガラスの蝶」「ファッション-蝶は国境をこえる」「HANAE MORI1960~1989」などがある。
2014年、2015年春夏コレクションより、天津憂をデザイナーに迎えハナエモリ デザイン バイ ユウ アマツ(HANAE MORI designed by Yu Amatsu)をスタート。
2015-16年秋冬コレクションより、ブランド名をハナエモリ デザイン バイ ユウ アマツから「ハナエモリ マニュスクリ(Hanae Mori manuscrit)」に変更。
2018年、「ハナエモリ(HANAE MORI)」の新デザイナーとして松重健太が就任。2020年春夏コレクションよりデザインを担当。
2022年、森英恵が96歳で逝去。
松重健太は、1988年生まれ。パリのサンディカを卒業。ジバンシィ、クリスチャン ディオールなど様々なブランドでキャリアを積む。2015年、自身のブランド「ケンタ マツシゲ(KENTA MATSUSHIGE)」をスタート。ミニマルでクリーンな美しさ、そして詩的で繊細なフォルムがデザインの特徴。